禁煙会誌 第2巻第4号 2007年4月1日


目次



《原著論文》 山形県における禁煙タクシーの現状
山田修久
《資 料》 亀岡市における学校敷地内禁煙化の実現に向けて
坂井知明
《資 料》 種子島の成人識別機能付き?タバコ自動販売機の実態調査
大橋勝英
《WAT特集》 WALK AGAINST TOBACCO 2006 WEEK 3 REVISITED
Mark Gibbens
《禁煙外来から》 診療録(3) 精神科疾患をともなう喫煙者の指導特集(10例)
 
《記 録》 日本禁煙学会の対外活動記録(2007年3月)

日本禁煙学会雑誌第2巻第4号 2008年4月

《原著論文》

山形県における禁煙タクシーの現状
山田菊地医院 山田修久

キーワード:禁煙タクシー、山形県、受動喫煙


はじめに
 2003年5月1日、健康増進法が施行された後、公共の場の禁煙化は進んでいるようだが、遅々とした感はいなめない。
 山形県ではタクシーの禁煙化は1999年夏に山形市のYH社が始め、全国でも先駆的であったが、その後の県内でのタクシー禁煙化の進展は余り目覚しいものではない。
 一方、タクシーは全面禁煙にすべしという判決1)や、受動喫煙被害の民事訴訟勝訴2)などの動きや、医療機関の客待ちタクシーを禁煙車に指定3)するというような世相を受け、タクシー内での運転手の禁煙を義務化する会社も出てきている4)
 そこで、山形県におけるタクシーの禁煙化の現状を知るため、アンケート調査を行った。

方法
 NTT東日本の電話帳掲載のタクシー(ハイヤー)会社に、FAXまたは郵送にてアンケート(図1-1図1-2)を行なった。78社に送付し、37社から回答を得た。
全県の都市部の比較的大手の会社からは殆ど回答を得られたが、町村などの所有台数の少ない、規模の小さな会社からの回答率は低かった。中間山地の東側の山形市を含む市部の多い地区である内陸は、西の日本海側の地区である庄内に比べ市の数も人口も多く、タクシーの所有台数の多い会社が多い実情がある。
 調査が行われたのは2006年11月である。

結果
 回答のあった全県の営業車数895台中196台(21.9%)が禁煙車であった。禁煙車の9割近くが新車時から禁煙とされていた。最も早くから禁煙車を設定した山形市のYH社では173台のうち約6割が禁煙車化されていた。その全車が新車の時から禁煙であった。(図2
 禁煙車に乗務するドライバーは220人であったが、その内喫煙するものが78人(35.5%)であり、YH社でも34.6%の喫煙ドライバーが禁煙車に乗務していた。内陸部のYH社以外の8社にて、禁煙車は非喫煙運転手に任されていたがその数は28台(3.1%)であった。庄内では非喫煙運転手の乗務する禁煙車は0であった。(図3
 一方、喫煙可能な車には580人のドライバーが乗務していたが、このうち272人(46.9%)が非喫煙であった。YH社でも50%のドライバーが喫煙しないのに非禁煙車に乗務しており、受動喫煙にさらされている実情があった。(図4)
 YH社のドライバーによると、新車導入時の乗員割り振りが、年功序列になっていて、喫煙状態は考慮されていなかったが、最近は喫煙状態も考慮するが、新車を任せるには、事故率など他の要因も考慮されるため、どうしても喫煙する運転手に禁煙車を任せざるを得ない状況が出来るとのことだった。最近は禁煙新車には非喫煙者を乗務させることが多くなってきたとも聞いた。
 もう一点問題があったが、それは禁煙車の喫煙乗務員に対して、勤務時間中でも車外喫煙であれば許可しているという現実である。(図5)著者自身、客待ち中の禁煙車の運転手が、運転席の窓を開け、顔とタバコを持った手を車外に出し喫煙している光景を目撃したことがある。着衣に残存する付着タバコ煙による受動喫煙の害について啓発していく必要があると思われる。また町村部には非禁煙車内での喫煙を許可しているところがまだ見受けられた。
 これらの会社の社屋や敷地についても伺ってみた。一定程度の認識はあるようだが、建物内、ましてや敷地内の禁煙をしているところはきわめて少なく、受動喫煙環境をまともに改善しようという姿勢は強くはない。(図6
 法定の定期健診すらしていないという回答が1件あったが、産業医の設置が不要な零細規模のところが多く、概して、喫煙問題を含む健康管理に関心が薄い可能性が見られると思われる。産業医の設定されている9施設でも、内3施設で喫煙問題に対する指導がなかったとされ、啓発をしていく立場の医療関係者にも問題があると思われる。せめて、健康増進法25条を遵守していこうとする姿勢があることが救いかもしれない。ただ1社ではあるが遵守しないといっていたのは問題である。何かの間違いであることを願うものである。(図7

結語
 本調査で回答のないところの多くは、郡部の零細企業と見られ、都市部の大手の大多数の回答が得られていることから、本県の現状をかなり反映していると考えられる。
 禁煙車は約2割に達している。(都市部に多い。)
 禁煙車に喫煙者が勤務し、禁煙車乗務中、車外での喫煙が許可されているため、乗務員の身体を介して客への受動喫煙が放置され、速やかな改善が必要である。反面喫煙車に禁煙者が乗務しており、客からの乗務員への受動喫煙が放置され、速やかな改善が必要である。
 社屋、敷地のタバコ対策も不備で、経営者の認識の甘いことが推察される。
 産業医が配置されている大手でも、その1/3でタバコ対策の指導がなく、健康増進法を守らないと明言するところがあるなど、医療界関係者を含めた一層の啓発が必要である。
 今回の調査結果を、回答のなかった会社を含め送付し、一層の改善を要求して行く予定である。

参考資料
1) 日本経済新聞 2005年12月21日記事
2) 共同通信 2006年10月25日記事
3) 朝日新聞 2006年10月26日記事
4) 北海道新聞  2006年10月30日記事

図1-1.山形県内ハイヤー・タクシーアンケート依頼文図1-2.山形県内ハイヤー・タクシーアンケート
図1.山形県内ハイヤー・タクシーアンケート
図1-1依頼文  図1-2アンケート


図2.禁煙車の普及度
図2.禁煙車の普及度

図3.禁煙車乗務員の喫煙
図3.禁煙車乗務員の喫煙

図4.非喫煙乗務員の喫煙車乗務
図4.非喫煙乗務員の喫煙車乗務

図5.勤務中の喫煙
図5.勤務中の喫煙
図6.社屋の喫煙状態
図6.社屋の喫煙状態
図7.健康意識
図7.健康意識

Current State of smoke-free taxis in Yamagata prefecture

YAMADA Nobuhisa
Director of YAMADAKIKUCHI Clinic

Ahead of the whole country, nonsmoking taxis (by YH Co. , the largest taxi company in Yamagata city, the prefectural capital) appeared for the first time about 8 years ago in Yamagata city. I conducted a survey of the current smoke-free state of taxis in Yamagata prefecture. I asked 78 taxi companies several questions about smoking by fax or letter. 37 companies responded, of which most urban major companies and a few minor ones. As a result, the following facts became clear.
・21.9% (196/895) of total working cars is smoke-free in Yamagata prefecture, 59.5% belonging to the largest company YH Co. as a special case. All of the cars have been nonsmoking since they were operative.
・35.5% (78/220) of nonsmoking taxi drivers are smokers, of which 34.6% in YH Co. and 0% in other 8 companies.
・46.9% (272/580) of smoking taxi drivers are nonsmokers, of which 50% in YH Co.
・12 companies permit smoking inside the cabin while driving smoking taxi.
・26 companies permit smoking out of the cabin while driving nonsmoking taxi.
・8 companies do not permit smoking in their buildings.
・16 companies permit smoking in their buildings.
・only 2 companies do not permit smoking on their premises(?).
・9 companies have industrial physicians. 3 doctors do not direct to prohibit smoking.
・Most companies have a knowledge about The National Health Promotion Law and set prohibitions to prevent passive smoking, whereas only one declared not to observe it.

Smoke free taxis reach about 20%, mostly in urban regions.
If smoking outside of the cabin is permitted, the risk of passive smoking to passengers through the body of smoking drivers remains. On the other hand, because about half of the nonsmoking drivers have to board smoking taxi, risk of passive smoking from smoking passengers to nonsmoking drivers also remains, thus prompt improvement is necessary for the benefit of both passengers and drivers.
In taxi companies’ premises, anti-smoking measures are inadequate and it seems unlike that managers recognize that.
There is no guidance on anti-smoking measures in 1/3 of the major taxi companies where industrial physicians are posted, and one company declared that they do not observe The National Health Promotion Law, thus it is necessary to rouse awareness through the work of professionals of the medical world.

Key words: smoke-free taxi, passive smoking, Yamagata prefecture


《資 料》

亀岡市における学校敷地内禁煙化の実現に向けて
亀岡市坂井歯科医院 坂井知明

キーワード:学校敷地内禁煙、受動喫煙、小中学校、三師会の役割、京都府亀岡市


 現在日本は、欧米に比べて、喫煙対策の遅れから癌の死亡率は依然として死亡原因のトップであり、癌の中でも治療率の良くなっていない肺ガンは特に増加しています。また、COPD増加が著しく、これらタバコが原因で予防できうる疾患への予防対策としては、薬物依存症である喫煙者の禁煙指導は難しいので、まず喫煙者を作らないことが重要と考えました。
 なかでも、学校敷地内禁煙化は将来的に喫煙率を下げることにつながり、また、学校敷地内禁煙化は学校を公共施設として利用する地域住民にタバコ対策に関心を持ってもらい、住民の喫煙率の低下と治安の回復を目指すことにもなります。しかも、学校敷地内禁煙化は未成年に対する防煙対策なので反対がしにくいという側面もあります。また、学校敷地内禁煙化をすることによって、学校を公共施設として一般住民も使用するので、施設利用時に禁煙を求められる成人への禁煙支援にもなる可能性があります。
 5年前に亀岡市内の中学校は全体的に荒れていると聞き、「学校が荒れると地域の治安が悪くなるといった悪循環が起こってくる。子どもが小学校に入学するに当たって子どもを守るためには地域環境を良くしないと子どもを守れない」と考えました。地域環境を良くするためには、犯罪心理学の「割れ窓理論」(軽犯罪を徹底的に取り締まることにより犯罪率が下がるというもの)に基づいた対策を実践する必要があります。未成年の非行の始まりはタバコからと昔から言われています。よって、未成年に対するタバコ対策は学校の平穏化の実現に、ひいては地域の平穏化の実現に欠かせないと考えました。
 現在、全国の学校で様々な事件が起こっていると聞きます。学校は子どもたちの安全のためと言って学校全部を今まで無かったフェンスで囲み、校門前には地域協力員と称して門番を配置しています。こんな世相に対して、いつかは昔のように学校が解放させるようにしたいという思いからも、学校敷地内禁煙化を子どもたちのためのよりよい地域環境作りのスタートにしようと行政に要望書を出すこととしました。
 健康増進法施行に合わせて、行政に対して医療・福祉など様々な形で行政に協力して発言力のある三師会(医師会、歯科医師会、薬剤師会)が市及び教育委員会に学校敷地内禁煙化の要望書を出すことによって、学校敷地内禁煙化の早期実現を目指しました。要望書の実効性をさらに高めるために、新聞掲載、議会質問、市のHPへの要望、保健所の会議での要望、といった継続的な活動を続けることによって、三師会の要望書をうやむやにされることのないように努めました。
 三師会による要望書提出を平成14年8月に亀岡市および亀岡市教育委員会に提出しました。それを受けて平成15年6月亀岡市定例議会答弁で教育長は2学期からの敷地内禁煙化の実施を宣言しました。当初学校敷地内禁煙化に消極的であった学校校長会も学校敷地内禁煙化は未成年に対する施策なので反対する理由がないということで表立った反対をしませんでした。要望書を提出してから1年後、市立幼稚園、小学校、中学校の敷地内禁煙化実施されました。約半年遅れで市内に2校ある府立高校うちの1校が平成16年4月より学校敷地内禁煙化を実施し、さらに1年後の平成17年4月より残り1校が学校敷地内禁煙化を実施することになりました。
 今後の課題:こうして、亀岡市においては市内の高校までは学校敷地内禁煙化が実施されました。ただし、養護学校と市内の私立大学が未実施ですので、両者合わせて敷地内禁煙化を目指したいと思っています。また、禁煙環境整備の次は子どもたちへの教育が大切と思います。二つの高校では学校と保健センターが連携して積極的な防煙教育を行っていますが、小中での取り組みは学校養護教諭が年に1回行う程度に留まっています。今後は学校医、学校歯科医、学校薬剤師が年1回それぞれの学年のレベルに合わせた健康教育をし、その中にタバコに対する知識も入れていくべきだと考えています。また、警察による法律面からの講義、消防署から誤飲や失火といった事故の問題等、多方面からの講義も合わせて行っていく必要があると思います。
 学校敷地内禁煙化実施後は、学校における町民運動会、消防訓練、グランドゴルフ会場として使用等、公共施設としての役割を持つ学校が敷地内禁煙化になったことから、広く住民への禁煙啓発活動としても大きな役割を果たしたと思います。保健センターなどの行う、タバコ対策への手ごたえも年々よくなっています。市役所の敷地内禁煙も順調に推移しています。
 学校敷地内禁煙化の実現には三師会の要望書が大きく力を発揮しました。要望書を出す際に行政事業に多大な貢献をしている医師会の協力は大変大きな意味がありました。そして、最終的に教育委員会が学校敷地内禁煙化を宣言したのは市議会において三師会の学校敷地内禁煙化実施の要望書についての議員の質問に対する答弁という形でした。議会制民主主義国家において議会活動は大変大きな力を持っているということを実感しました。
 このようなことから、禁煙活動には医師会という公的団体が動くこと、そして、医師会が中心となって歯科医師会、薬剤師会等、各種団体を巻き込んで、文部科学省、厚生労働省、議会を動かすことが王道であり、また近道であると考えます。未成年に対する喫煙は元々法律で禁じられており、その未成年の生活エリアを禁煙化することは反対できないのですから。将来的には未成年の生活エリアは禁煙にしなければいけない、といった法律ができれば、喫煙対策はより進むと考えられます。我々の経験が、全国の自治体の参考になればと願っています。


《資 料》

種子島の成人識別機能付き?タバコ自動販売機の実態調査
大橋胃腸肛門科外科医院 大橋勝英

キーワード:タバコ規制枠組条約、未成年者の喫煙防止対策、成人識別機能付きタバコ自動販売機、ICカード式タバコ自動販売機、カメラによる成人識別方式


【要旨】世界保健機関(WHO)が推進した包括的なタバコ対策であるタバコ規制枠組み条約(FCTC)の中で、増え続ける未成年者の喫煙防止対策の強化が明らかになり、(社)日本たばこ協会、全国タバコ販売協同組合連合会及び日本自動販売機工業界が主体になってカード式タバコ自動販売機を開発し、平成16年5月から、人口が安定している種子島で試験稼働させている。成人に発行するのだから成人識別機能付きだと詭弁している。これとは別に大手自動販売機メーカーの株式会社「フジタカ」は、カメラによる対面方式で臨んでいる。導入以来、種子島署での喫煙補導人数は16年、17年とも減少したが、18年は激増している。この原因について詳しい分析は行われていない。

Ⅰ はじめに
 未成年者の喫煙のきっかけとなるタバコの入手は、小学生の場合は多くは親のタバコからであり、中学・高校生は友人や先輩からとなっている。喫煙習慣が身につくと約7割がタバコ自動販売機(以下自販機)から購入するようである1)。喫煙による少年補導では9割前後が自販機からとなっている。未成年者の喫煙は法的禁止または非行やマナーの問題以上に、健康問題が根幹であることから、世界保健機関(WHO)はこれらの問題も含め、世界的なタバコ対策を打ち出した(FCTC)。日本政府はFCTC原案の「自販機禁止」に強く抵抗したため以下のように修正された。
「FCTC 第16条 未成年者に対する販売および未成年者による販売」
1、(a)(b)(c)略。(d)その法域内にあるタバコの自動販売機に未成年者が近づけないように、また、自販機が未成年者へのタバコ製品の販売を促進しないように確保すること。つまり、未成年者がアクセスできないよう自販機について適切な措置をとる、となった。
 警察庁は平成16年6月28日の財政制度等審議会、第8回たばこ事業等分科会で、「たとえ成人識別機能付き自販機であっても、対面による販売と同等以上の効果は期待できない。この種の自販機は将来的には国民合意のもと、撤去されるのが望ましい」との見解を示している。
 
Ⅱ 成人識別機能付き自販機の実態
 筆者は平成18年9月に種子島を訪問し、成人識別機能付きとされている、ICカード方式や、カメラ方式による自販機の実態について、平成19年2月11日の第1回日本禁煙学会で発表した。
 この未成年者のタバコ入手防止を目的とした新型自販機は、平成17年2月27日に発効したFCTCを先取した形だが、日本タバコ協会は、WHOでの未成年者がタバコを買えない仕組みについての議論の推移から、その採択が避けられないと考え、ICカードによる「成人式別機能付き自販機」の開発を急いだものである。
 一方、大手自販機メーカーである株式会社「フジタカ」は、監視カメラとインターホーンを組み合わせた成人識別対応で臨んでいる。
1、ICカード方式
 タバコメーカー三社でなる日本たばこ協会は、平成16年5月からICカードによる自販機約160台(2007年3月現在数)を、人口の流出・流入の少ない1市2町の人口約3万3千人の種子島で試験稼働させている(写真1、2、3)。
 今後全国の自販機は、平成20年3月から7月にかけて、鹿児島県、宮崎県から始まって順次新型に置き換えられるが、すでに各地でその設置と形を見ることができる(写真4)。
(1)カード登録方法
 鹿児島地方では今年12月から成人のカード登録を開始する。カード申請には顔写真や公的身分証の写し(住民票、運転免許証、健康保険者証、パスポートなど、申込者の生年月日・住所を証明できるもの)が必要で、事前登録した各自販機をオンラインで結んで、紛失などで失効したカードの利用を防ぐ措置も講ずる。これに電子マネー機能を搭載したプリペイド方式もあり、現金を使わなくても購入できる利便性を高めたカードも選択できる。発行費や年会費は無料。
 申込みが郵送の場合は東京の日本たばこ産業「識別システム運営センター」に、直接の場合は「たばこカード種子島運営センター」で手続きをする。
(2)一時的滞在者に対するカード発行
 観光客や島を訪れる短期間の人には、たばこカード種子島運営センター、及び島内の「たばこカード貸出受付」表示のあるタバコ店で申し込むと、その場で受け取る事が出来る(写真5)。利用期間は利用日から7日間。返却はタバコ販売店、もしくは空港などに設置している回収ボックスに入れる。これはだれかに譲渡しても、だれにもわからない。
(3)カードの名称と有効期限
 現在、種子島で使われているカード名は「たばこカード」だが(写真6)、全国展開となればタバコのパスポートの意味から「taspo(タスポ)」2)3)となる。有効期限は10年で、継続の時は更新手続きを要する。なお、現在使われているカードの有効期限は平成20年3月末までである。

Ⅲ カメラによる成人識別機能付き自販機
 フジタカは、自販機据付型監視システム4)のノウハウを生かして、成人識別に対応したカメラ方式で対抗する。購入者は硬貨投入口横のカメラの前でボタンを押すと、店の内部から成人かどうかが解る仕組みとしている。未成年の疑いがある場合はインターホーンを使い、運転免許証など年齢確認できるものをカメラに提示してもらう(写真7)。夜間はオペレーターで対応する2)。ICカード方式が主流であるがフジタカは独自方式を展開する5)

Ⅳ 結果
 このような試験的稼働下にある種子島での少年の喫煙補導人数は、種子島署の報告では、導入前の平成15年は39人、5月導入の16年は31人(導入後の補導人数は25人)、17年は10人と漸減した。しかし18年は84人と激増しているが原因については分析されておらず、入手先が自販機なのかどうかは不明とのことである(表1)。また、件数表示でなく人数表示であることも分析を難しくしている。今後、全国的に稼働した後の喫煙補導について、入手先の詳しいデータが得られる統一した仕組みや様式が必要と考える。
 種子島署に対して、新型自販機の登場で購入が困難になっている、未成年者のタバコ入手方法について問い合わせたが、屋久島や鹿児島に行った際に入手する、友だちからもらうということの他、カードについては家族や知人のカードの持ち出しや、借りることで購入する少年もいるとのことである。

表1.種子島署の喫煙補導実績
  喫煙補導人員
平成15年 39
平成16年 31
平成17年 10
平成18年 84
164

Ⅴ 考察
 平成20年3月末でもって試験的稼働は完了し全国化されようとしているが、カードの悪用等による成人に成りすまし、また犯罪や新たな非行の温床となることが心配される。さらに個人情報の保護上、その管理や安全性や目的外利用防止等について、どう担保されるか注意しなければならない。
 新聞報道によれば、ICカード方式の全国への導入に伴う費用は800億円から900億円といわれ、うち650億円は日本たばこ産業が負担するという。この費用対効果は疑問視されている。すなわち、自販機に購買意欲をそそる巧みなデザインを配し、一定期間ごとに新しく変え、夜はひときわ明るく存在を誇示し、広告塔となって氾濫している限り、誘惑的キャッチフレーズも伴って、青少年の好奇心はそそられることがあっても絶えることがないからである。20歳未満の喫煙は禁じられていると表示しているが、待てないグループは却って欲求を刺激させられるのである。おびただしいこの広告塔ともいえる自販機が露骨に存在する限り、未成年者のタバコ入手を阻止することは不可能である。
   自販機は喫煙する大人の利便性や業界の利益のためにあり、未成年者には不要のものである。非行・犯罪・病気から未成年者を守ることを真剣に考えるならば、「大人の利便性や業界の利益を犠牲にすることはやむを得ない、また誘惑的な広告塔でもある自販機は撤廃」という世論形成が必要である。
 クリントン前米大統領は1996年、7年間で未成年者の喫煙率半減を目指し対策を講じた。その中に「未成年者が出入りする場所からの自販機の撤去」がある。わが国でも多くの医学会が禁煙宣言を行い、自販機は未成年者の心身を蝕む不要な機械として、自販機の撤廃や規制を強く主張している。
 成人識別と謳っているが、カードを持つ人がほんとうに成人かどうかは解らないところが盲点であり、業界の利益のための自販機の延命策と考えられる。


参考文献・ホームページ
1) 「自動販売機からの入手」 健康ネット(厚生労働省)
  http://www.health-net.or.jp/tobacco/product/pd040000.html
2) 禁煙学会誌第1巻2号(2006年12月1日号)
  http://www.nosmoke55.jp/gakkaisi/200612/index.html#oohashi
3) 「タスポ」 (日本たばこ協会)
  http://www.tioj.or.jp/avvm/index.html
4) 販機据付型監視システム
  http://www.fujitaka.com/products/vendor/mitemasuyo/index.html
5) フジタカのタバコ自動販売機
  http://www.fujitaka.com/products/vendor/tobacco_vendor/index.html

写真1.種子島警察署玄関


写真2.署の除風室にあるIC機能付き自販機


写真3.コンビニに見る自販機


写真4.平成20年4月導入準備中


写真5.臨時カード


写真6.たばこカード


写真7.広角レンズを有するインターホーンによる識別自販機


《WAT特集》

WALK AGAINST TOBACCO
2006
WEEK 3 REVISITED
Mark Gibbens

 なぜ、歩こうと思ったか
 鹿児島の佐多岬から、北海道の宗谷岬までの約3000 Kmを歩いて、このメッセージを伝えていきたいと考えています。

 あなたの健康を大事にして下さい。
 あなたの家族を大事にして下さい。
 あなたの友達を大事にして下さい。
 あなたの国 を大事にして下さい。
 禁煙は愛です!


 なぜ私がこのキャンペーンを計画したか、それは私はオーストラリアから来ています。オーストラリアは喫煙率の低い国です。でも、昔からではありません。人々が喫煙、受動喫煙の危険を知り、今の数字になっていったのです。政府はとても明確な喫煙の害のCMを流し、タバコの表示も写真付きでわかりやすくしています。タバコ税も高く、建物、バーであっても禁煙エリアは何%と法律で決まっています。
 今、世界の多くの国が禁煙の動きになってきています。政府の広告も日本に比べ、とてもはっきりと喫煙の危険を警告しています。
 ところが、日本は成人男性の47%が喫煙者と、驚く数字です。
 また、若い女性の喫煙率は増えていっているようです。
 これは、喫煙、受動喫煙の危険性の認識がそれほど重要視されてないからではと思いました。ただ、体に悪いとは知っていても、どう悪いのかといった知る機会がない。三度の食事より口にするのに何が成分でそれはどう体に影響する、またその煙の方が害があるのに、その影響もあまり知られていない。吸う人も吸わない人もそこを知る機会もなく、禁煙、分煙と言われてもただ困惑し、憤慨すると思います。それを知るべきだ、知ってもらいたいと歩く事にしたのです。
 また、私自身が主にICUの看護師でした。多くの医師、歯科医師が禁煙を推進しています。吸い続ける事がどんな事になるか、知っている私達が教えてあげなくてはいけない。治す事だけが、医療ではなく予防をする事も医療だと思います。こうして、歩くことも私の日本においてできる看護師としての仕事の一つと考えています。
 こうして、歩く事ははたして意味があるのかと思われるかもしれません。でも、何もしないよりした方がいいと思っています。このメッセージが一人でも多くの人に伝わるきっかけになればいいなと願い、遍路姿で歩きます。


前号からの続き―
 Day 15 should have begun with a leisurely breakfast followed by a visit to the Yamaguchi Medical Association at 9:30am, however this plan turned in to a mad scramble at 8:25am as we were informed by telephone that doctors, staff, TV and journalists were awaiting our arrival at 8:30am. Thankfully the building was just around the corner and in the European sense, I was fashionably three minutes late, walking into the Association foyer flanked by about 50 people, to another embarrassing round of applause. The Association president Dr Fujiwara kindly ushered me inside as I tried to ignore the swarm of journalists and cameras buzzing around me.
 We were directed upstairs for an interesting round table chat about tobacco problems with some of the doctors and one of the most warm-hearted and caring local politicians I have ever met, Mr. Koizumi (no, not the prime minister). We then fielded questions from the media, before departing the building to another round of applause followed by a continued TV interview outside with an “English speaking” reporter. This interview served to remind us, as did the previous day, that it ’s not what is said in the interview, which is so important, as what goes to air or print, as today ’s announcer mistranslated my English into Japanese.
 Quoting me as saying I wanted to destroy the number of smokers when I actually said; “ I wanted to reduce the number of smokers in Japan”. If I were cynical, I would say that they were trying to sensationalize the story, though I can't complain that it made the lead story on NHK,Yamaguchi TV.
 We returned home to what was by now a cold cooked breakfast, before starting the days walking at 11am. With my ankle not grumbling I decided to push the pace, urged on by my friend Andrew calling from Bangkok to check on my progress. At times jogging, I was able to cover a lot of ground, before resting with Reiko by a small lake with our picnic lunch provided by Mrs. Tsuha.
 Pushing on in the afternoon, my progress was again impeded by two very attractive young ladies working for KRY radio. They tracked me down along the road, probably having seen NHK ’s lunch time news and proceeded to do a live to air broadcast to a KRY studio announcer who told me straight-out he was a smoker who couldn't understand what all the fuss was about. On reflection he probably had heard the mistranslation about me wanting to destroy smokers. Anyway, in my poor Japanese I tried to explain the dangers of smoking and what I was trying to achieve by this walk. I didn't think the interview went particularly well but the two young ladies were sympathetic and many more drivers cheered me on through the afternoon. After saying goodbye and heading down the road I began to rue the fact that I hadn't taken a picture with the young ladies but I needn't have worried as two hours later, there they were again, this time holding a video camera as I emerged running from a tunnel. Apparently the response to my radio effort had been good and KRY wanted some video for their TV news report. Thus I was able to get my photo, this time with three young ladies who all hate smoking.
 Thus I finished the days walking at 7pm and checked into the Tokuyama Toyoko Business Hotel to guarantee internet access to my web blog.
 The next day I reached lwakuni by late afternoon having made good use of Dr Yamato's breathing mask through several tunnels including a 400m train tunnel after miscalculating where a safer side road would take me. At Iwakuni I walked across the famous wooden 5 arches, Kintai Bridge before ending the day in an industrial part of town near a factory belching out smoke from its many red and white smoke stacks, The symbolism was too tempting to resist, so we took some video of me walking past them.
We returned across town to the home of Dr Himeno and his friendly City Councilor wife and sons.
 Dr Himeno had to leave early this morning, so we followed him out the door complete with a packed lunch and a gift of a beautiful pottery cup from his nurse turned politician wife. Had to pass by Miyajima with its famous floating torii and was met here by the friendly Dr Kawane at Miyajima-guchi train station. For the next few hours he accompanied me, keeping up with my brisk pace with his own unusually long legs. At his suggestion we enjoyed a picnic lunch together at his University of Nursing campus with its fine hillside location overlooking Miyajima and the Inland Sea. Arriving at Peace Park we met our home stay host, Dr Tsuya who led us by car through town to his clinic and home to refresh before our 6pm meeting at the Hiroshima Medical Association.
 A pleasant meeting with the President Dr Usui and the chief anti-smoking officer Dr Matsumura was followed by a sumptuous dinner reception served in the Medical Association building with 10 Doctors and ourselves, and an informal anti-tobacco discussion held whilst eating. Later we returned to Dr Tsuya ’s clinic, had coffee with him and his wife in their top floor apartment before retiring to bed, one floor down in his sleep apnoea laboratory/apartment.
 Day 18 was an official rest day from walking, so to relax we took the elevator up to the Tsuyas' apartment for a leisurely breakfast at 8:30 and then drove with Dr Tsuya to Hiroshima Peace Park where with the help of some of his staff we handed out another 250 quit-smoking info-tissues, gave an interview to a journalist and enjoyed a grilled eel and rice picnic lunch, before walking a kilometre through town to the city campus of Hiroshima International University, where Dr Tsuya was to give a one hour lecture on how to quit smoking. This was followed by a short speech from me about Walk Against Tobacco and then a panel discussion of tobacco issues hosted by local RCC TV personality Ms Yoshida. The panel included Dr Tsuya, Dr Kawane, local radio personality Ms Sera and myself with Reiko as my interpreter. Many issues were raised and I was able to give input about Australia's efforts to educate its smokers to the dangers of tobacco. Perhaps the best question from the audience of 100 or so, came from a 14 year old junior high school student who wanted to know how she could advise her friends to stop smoking. So much, for the legal age of smoking and purchasing cigarettes in Japan being 20 years of age. With 600,000 easily accessible tobacco vending machines in this country, and very cheap cigarettes, its no wonder you have 14 year olds and even elementary school children smoking. Anyway I enjoyed my first panel discussion, and hope that it encouraged at least some of the audience to quit and made others who saw it on the evening news and in the newspaper the next morning think about the damage tobacco is doing.
 To finish the day we celebrated at a nice buffet style restaurant before returning to the laboratory.
 An unremarkable Day 19 of 52km of walking was highlighted by three acts of kindness. A sprightly old lady, picking roadside spring onions stopped me to say she had seen me in the morning paper and that she was also a walker, but didn't think she could keep up with my long legs.
 Nonetheless she was happy to meet me and saw me on my way with some onions. Around lunchtime Mr. Sasaki and I presume his wife stopped their car and offered me some rice balls and a drink, which I took gratefully as my water bottle, had run out. And in the late afternoon another woman, Atsuko pulled up in her car to give me some bottles of juice, a small donation and a plea to keep up the good work. Thus spirits lifted I jogged into Shinjo, had some curry rice for dinner, checked into a hotel and fell fast asleep.
 Day 20 became the day from hell, as about two hours into the walk, sharp stabbing pains began to shoot up my left leg, modulating in intensity from a bearable ache to severe pain, which would force me, on the verge of tears, to rest for minutes at a time. Walking became so difficult that I had to resort to my army training and march humming my regimental tune "The Black Bear" and Waltzing Matilda.
 This worked for a while but the pain eventually overtook that and I had to hobble along at a very slow pace. I can only think of describing this pain as some one trying to eat my leg for dinner, slicing their knife through my ankle and digging their fork into my shin muscles for better leverage. For the day's last 12km, my leg eventually became numb to the pain allowing me to pick up the pace into Fukuyama where we arrived at Dr Kodama's house and I was able to relieve the pain and swelling with ice packs and rest. We enjoyed a nice fresh seafood dinner with his family and the family of Dr Kimura in a restaurant next to his house, before returning home to ice-cream for my taste-buds and more ice for my leg.
 I had half hoped that the ice and anti-inflammatories would cure the pain but 15 minutes into the next day ’s walk, with four members of the Medical Association, including the vice-president and Dr Kodama, I realised it was going to be another meal on my leg. Within 30 minutes my traveling companions had fallen by the wayside and I was again alone (a relative term in Japan) until the 12km mark where I was joined by Mr. Takemoto, a friend of Dr Sono (you'll meet him a little later). He lightened my load by carrying the flag for the rest of the morning.
 By lunchtime we had reached the 24km mark and were joined by my New Zealand friend Simon who now teaches in Okayama Prefecture. Simon was a godsend for the afternoon. His incessant talking allowed me to forget about the pain and walk for another 26km. So he has a new nickname, “pain killer Simon”
 On our way through Kurashiki city our party of walkers grew to four with the addition of Ms Bando, who I had first met in Tokushima city at the start of my Shikoku Island mini-walk. She has recently moved to Okayama and was keen to push me along, if only for the last hour.
 Which she certainly did with her radiant smiling face, whilst Simon and Mr. Takemoto dropped off the pace.
 We finally arrived at Kawasaki Medical University, our goal for today, where we were applauded by Dr Kawane of Miyajima and Hiroshima fame, and our home stay provider for tonight. We were also greeted by his daughter and son-in-law, said goodbye to the others who were returning to their respective lodgings by train, and followed Dr Kawane to his house to be met at the door by his charming wife. A quick shower and soak in the bath, was followed by ice-packs to both legs now as the right ankle had started playing up and a sumptuous dinner with the well traveled Kawane family and then an early bed.
 The care that these people have for life is certainly evident in the care that they lavish on their 16 year old, blind and deaf dog "Bene", so it is no surprise that they are trying hard to save people from a slow tobacco death.
 I hope their care of my legs will help me to get through the almost continuous pain in my legs for it was now worrying me that, in this condition I would not be able to meet my confident boast of walking the length of Japan in 88 days.
.
To be continued・・・

4月28日、岩国の姫野ご夫妻宅にホームステイ


4月29日、広島平和公園での祈り


4月29日、広島県医師会の歓迎会


4月30日、平和公園にて津谷先生ご夫妻と支援者の皆さん


4月30日、タバコについて考えるセミナー


5月2日、児玉先生ところにホームステイ


5月3日、川崎医科大学到着、川根先生、サイモンさん、
武本さん、板東さん


川根先生とご家族の皆さん、ペットのベネちゃん


参考サイト:Walk Against Tobacco 2006 (Galleryにいろいろな写真があります)
※WAT:WALK AGAINST TOBACCO


禁煙外来から

診療録(3) 精神科疾患をともなう喫煙者の指導特集(10例)


 日本禁煙学会では禁煙指導をしているドクターやナースからの申請書類を厳正に審査し、禁煙専門医あるいは禁煙専門看護師として認定しております。その時に提出する診療録がすでに約1,300例集まっております。その中から、毎号数点ずつを選び、作成者の了解を得て、ご参考までに呈示いたすことに編集委員会で決まりました。
 ただし、保険で治療が行われる以前の自費で行われていた時も含まれていますので、そのつもりでご覧下さい。禁煙指導が画一的なものでなく、個々の対象に合わせてアレンジしていくことの必要性を痛感できると思います。
 なお、プライバシー保護のために、個人を類推される可能性のある情報は医学的解釈に影響のない範囲で省略・改変してあります。
編集委員長 作田 学


症例1 49歳 女性
(喫煙歴) 20歳から49歳まで29年間、30本/日
(疾患・既往歴) 統合失調症
(禁煙指導)
 20歳から好奇心で吸い始めた。1日30本。朝起きたら30秒でタバコに火をつける。タバコを吸わないとイライラする。ゴホゴホ咳をしながら吸っている。タバコの火の不始末が心配で、出かけてから確認に戻ることが何回かあった。
 自分の健康のためにタバコをやめたいと、禁煙外来を受診された。ニコチンの依存が強いので、ニコチンパッチを使用して、行動療法も併用して、こまめに禁煙指導をした。
(経過)
 ニコチンパッチ30を4週、20を2週、10を2週使用して禁煙できた。本人は「やめて良いことばかり。やめて良かった。体が軽い。咳や痰がなくなった。さわやか。こんなに楽にやめられるとは思っていなかった」と言っている。
(転帰)
 1年後禁煙継続
(考察)
 統合失調症とニコチン依存症の合併例である。精神障害者は禁煙しにくいと言われているが、つねに喫煙の害や止めることのメリットを伝えているとこの例のように自ら禁煙を希望し、禁煙が可能であると考えられた。


症例2 55歳 男性
(喫煙歴) 23歳から約30年間。1日10本。
(疾病・既往歴) アルコール依存症・アルコール性肝炎・糖尿病・高血圧・不整脈
(禁煙指導)
 友人に勧められて23歳から吸い始めた。1日10本。起床後1時間以上してから最初の1本を吸う。4回禁煙したが、周囲の人から勧められた1本で喫煙を再開した。入院中隣のベッドの人が禁煙外来で禁煙を開始したので、いっしょにやめたいと禁煙外来受診を希望された。
 ニコチンの依存は強くないが、意識付けを兼ねてニコチンパッチを使用しながら、一服たりとも禁煙中は吸わないということを短い期間をくり返し設定してフォローした。
(経過)
 ニコチンパッチ30を3週使用して禁煙ができた。糖尿病はインスリン治療をしていたが、禁煙後はまったくクスリを使わずにコントロールができている。
(転帰)
 1年後禁煙継続。
(考察)
 アルコール依存症とニコチン依存症の合併例である。アルコール依存症ではニコチン依存症の合併率が非常に高いが、アルコール依存症の治療が安定している時期には禁煙が可能であると考えられた。また、禁煙によるだけではないが、他の身体疾患においても良い治療効果をおよぼした。


症例3 30歳女性
(喫煙歴) 15歳から15年間。1日40本。
(疾病・既往歴) アルコール依存症
(禁煙指導)
 好奇心から15歳でタバコを吸い始めた。1日40本。朝起きるとすぐにタバコを吸う。自分の健康のためとタバコ代がかかることにより、3ヶ月禁煙したが、1本くらいなら良いだろうと思い、また吸い始めた。今回、健診時に、禁煙を勧めたところ、夫も自分の禁煙を希望しているとのことで禁煙に踏み切られた。
 ニコチン依存度は強いが、NRTは使わずに止めるとの決意あり、一服たりとも禁煙中は吸わないということを短い期間をくり返し設定してフォローした。
(経過)
 ニコチンパッチを使わずに禁煙を開始した。禁煙を初めて、2ヶ月。体の調子がよい。「息切れしない。食べ物が美味しくなった。生活費がすこし浮いた」とよろこびの声が聞かれた。
(転帰)
 1年後禁煙継続
(考察)
 一般に女性は男性より喫煙率は低いが、またアルコール依存症の禁煙は難しいが、医療スタッフの他に家族のサポートもあり、うまく禁煙できたと考えられる。 


症例4 60歳女性
(喫煙歴) 20歳頃から60歳まで1日10~12本、多い時で20本を吸っていた。
(疾病・既往歴) アルコール依存症
(禁煙のきっかけ) いらいらすると本数が増えているので、そろそろ止めようと思った。
(禁煙指導)
 数年前にニコチンガムで禁煙しようとしたが、意志が弱くてまた吸ってしまい、なかなか止められないという。アルコールの方は服薬でなんとか我慢できているが、喫煙はなかなか止められない。むしろイライラした時には本数が増えていたという。元々アルコール依存症の治療のために抗不安薬の投与をしていたため、イライラに関してはそれを利用して落ち着くように指導した。さらにニコチンパッチ30より開始。3週間継続した後に減量し、計約7週間使用した。
(経過)
 1週目:禁煙は続いている。気分が滅入ることもない。
 2週目:ややイライラするが、抗不安薬服用で自制内。禁煙も継続できている。
 3週目:禁煙は続いている。しかし、まだ吸いたい気持ちは残っている。
 6週目:タバコの誘惑はまったく感じない。吸いたい気持ちはほとんど生じていない。
 7週目:ニコチンパッチは終了とする。禁煙は続いている。かなり自信もついてきた。
(転帰)
 現在、12ヶ月後も禁煙は持続している。
(考察)
 止めたい気持ちと吸いたい気持ちが入り乱れ禁煙が続かなかった症例で、アルコール依存に加えてニコチン依存も生じていたと思われる。イライラすると本数が増えていたが、それを抑えることで禁煙も成功していると思われた。夫も同じ時期に禁煙を始めており、それが支えになっているとも思われる。禁煙には、吸いたい気持ちのコントロールと共に、家族の援助が重要であると思われた。


症例5 35歳女性
(喫煙歴) 18歳から17年間。1日20本。
(家族歴) 夫と離婚して、二人の子どもと暮らしている。
(疾病・既往歴) 境界型人格障害
(禁煙のきっかけ) 自分の健康と子供たちの健康を考えて禁煙したい。
(禁煙指導)
 いままで禁煙を考えたことがなかった。離婚して子供たちとの生活となり、子どもから禁煙をすすめられた。いままで他院で禁煙指導を受けたり、市販のニコチンガムを用いたこともあった。しかし、これまでは禁煙失敗の繰り返しで、子供たちからの強い希望をきっかけに今回の禁煙を決意した。
(経過)
 1週目:ニコチンパッチにより起床時や食後の吸いたい気持ちがほぼ消失した。
 2週目:吸えないことでイライラしやすい。
 4週目:禁煙継続。タバコのことは余り考えないようになってきた。
 8週目:禁煙継続。パッチは使用しなくても吸いたいとは思わない。
(転帰)
 禁煙を始めてから、現在まで1年3ヶ月間は禁煙が持続している。子どもは、母親の禁煙を大変喜んでおり、いざこざが絶えなかった家庭にも団らんが多少なりともある生活となった。
(考察)子どもたちの希望という大変重要な課題によって、あるいは境界性人格障害へ服薬していることにより、禁煙継続していてもイライラがあまり見られない。むしろ子どもとの関係も次第に良くなっている。この本人の言動から、人格障害に加え、喫煙および中途半端な禁煙が、さらに精神的な不安定さをもたらしていたと思われた症例であった。


症例6 40歳男性
(喫煙歴) 20歳から20年間、1日30本
(疾病・既往歴) 統合失調症、気管支喘息
(禁煙のきっかけ) 内科医からの強い指導による。
(禁煙指導)
 長期間、統合失調症で入退院を繰り返していた。気管支喘息があるにもかかわらず喫煙しており、多少の呼吸器症状を訴え、さらに内科医からの強い指導もあり、これを機にタバコを止めたいと考えた。ニコチンパッチは30を3週間使用して、以後減量し8週間使用した。
(経過)
 1週目:吸いたい気持ちが強い。喘息発作を生じており、喫煙は危険と繰り返し伝える。
 2週目:禁煙は続いているが、タバコを見るとたまに吸いたくなる。
 5週目:多少イライラはあるが、禁煙は続いている。
 8週目:パッチを貼り忘れることもあるが、イライラしない。禁煙は継続している。
(転帰) 現在、1年間禁煙持続しており、喘息発作もなくなった。
(考察)
 気管支喘息があるにもかかわらず、喫煙を継続していた症例。統合失調症をはじめとする精神疾患を持っている患者さんにはよくあることで、自覚がなかった。途中の喫煙はなかった。慢性的な精神疾患が会ったとしても本人の決意次第では禁煙も成功することが経験できた。


症例7 53歳女性
(喫煙歴) 18歳より35年間喫煙
(疾病・既往歴) 反復性うつ病性障害にて当院通院治療中。
(禁煙のきっかけ) 喫煙すると倦怠感などが生じるため。
(禁煙指導)
 喫煙本数20本/日、 BI=700 , TDS 9点
初診時呼気CO 46ppm、起床後6~10分の喫煙あり。ニコチン依存度は中等度であり、ニコチン置換療法が禁煙成功に役立つむね伝えた。資料を用い、ニコチン依存症と喫煙の関係、喫煙の健康への害、受動喫煙の害について心理教育を施した。禁煙宣言書に記入してもらい、自宅の目に付くところに貼るよう指導した。また禁煙日記に記入するよう指導した。
(経過)
 ニコチネルTTS30より開始。禁煙を継続していたが、4週後の第3回外来ではニコチネルTTSによる接触皮膚炎あり。軟膏を処方し、貼付を続けるよう指示。8週後の第4回外来では、皮膚炎症状のためニコチネル使用は自主的に中断していたが、禁煙は継続。
(転帰・結果)
 12週後の第5回外来でも禁煙継続しており、呼気COは1ppmであった。保険適用の全5回の禁煙治療を終了。


症例8 53歳女性
(喫煙歴) 25歳より28年間喫煙。
(疾病、既往歴) 双極性障害にて治療中。入院歴あり。
(禁煙のきっかけ) 夫が心筋梗塞で入院中。受動喫煙のことを知り、自分が禁煙しないと申し訳ないと感じたため。
(禁煙指導)
 喫煙本数 40本/日、BI=1120、TDS 8点
初診時呼気CO46ppm、起床5分以内の喫煙あり。ニコチン依存度は高度であり、ニコチン置換療法が禁煙成功に役立つ旨、伝えた。資料を用い、ニコチン依存症と喫煙の関係、喫煙の健康への害、受動喫煙の害について心理教育を施行した。禁煙宣言書に書いてもらい、自宅で目に付くところに貼るように指導した。また、禁煙日記を記入するよう指導した。
(経過)
 ニコチネルTTS30使用にて、2週間後の第2回外来では完全に禁煙できているとのことで、呼気COも1ppmであった。ニコチネルTTS30を4週間、ニコチネルTTS20を2週間、ニコチネルTTS10を2週間と漸減、中止した。その間、第3回外来と第4回外来の間に1本ずつ2回の喫煙があったが、失敗を繰り返して止められるものであることなどを指導し、その後は禁煙を継続することができた。
(転帰)
 12週後の第5回外来でも禁煙継続しており、呼気COも2ppmであった。本人も「禁煙を続けられそう」と話された。保険適用の全5回の禁煙治療を終了した。


症例9 75歳男性
(喫煙歴) 30歳より45年間喫煙。
(疾病・既往歴) アルコール依存症およびうつ状態。
(禁煙のきっかけ)
 胸部痛、咳嗽、喀痰などの慢性気管支炎症状が辛いため。
(禁煙指導)
 喫煙本数 13本/日、 BI=585、 TDS 10点
初診時呼気CO 9ppm、起床5分以内の喫煙あり。ニコチン依存度は中等度であり、ニコチン置換療法が禁煙成功に役立つ旨伝えた。資料を用い、ニコチン依存症と喫煙の関係、喫煙の健康への害、受動喫煙の害について心理教育を施行した。禁煙宣言書に記入してもらい、自宅で目に付くところに貼るように指導。また禁煙日記に記入するよう指導した。
(経過)
 ニコチネルTTS30から開始した。2週後の第2回外来では「1本も吸わなかった」と話し、呼気COも1ppmであった。ニコチネルTTS30を4週間、ニコチネルTTS20を2週間、ニコチネルTTS10を2週間と漸減し、中止した。その間、禁煙を継続していた。
(転帰・結果)
 12週後の第5回外来でも禁煙を継続しており、呼気COも3ppmであった。保険適用の全5回の禁煙治療を終了した。


症例10 39歳 女性
(喫煙歴) 1日20本、15年間
(疾患) 統合失調症
(禁煙のきっかけ) 健康な体を取り戻したいという強い欲求
(禁煙指導の内容)
 初診時BI=300, TDS 9点、 呼気中CO濃度 25ppm
統合失調症で精神科通院中。精神疾患関連のグループホームへ入所中。自分の精神状態を改善し、健康な体を取り戻したいという強い意志から当院の禁煙外来を受診した。ニコチン依存度が高いと判断し、ニコチネルTTSにて治療を開始した。
(経過)
 1~6週目:ニコチネルTTS30にて治療を開始する。途中、4週目の時点でタバコを1本吸ってしまったことを悔い、自己嫌悪に陥ってしまったが、いままで禁煙できた成果を評価することにより、禁煙を続けることのモチベーションを維持することができた。喫煙者が多いグループホームでの生活をしており、精神疾患を持っていることもあり、当院スタッフが電話などで随時禁煙の状況や患者の精神状態を確認し、禁煙に対するサポートを継続したのが奏功したと思われる。
 7~10週目:ニコチネルTTS20に変更。幸いこの時期は精神疾患の治療のため精神科に入院中であり、ニコチネルを減量しても再喫煙の欲求は起こらなかった。
 11~12週目:ニコチネルTTS10へ減量。精神科を退院後グループホームへ再入院したが、ホーム職員の協力も得られ、禁煙が破られることはなかった。
(転帰)
 その後半年経過を見ているが、再喫煙することもなく、禁煙を継続できている。禁煙開始3ヶ月後に精神疾患の一時的な増悪は見られたものの、その後回復し、現在は安定している。


日本禁煙学会の対外活動記録
(2007年3月)
3月15日 禁煙宣言学会等へのアンケート実施(メールまたはFAXで34の関係学会等に実施)
3月23日 「タバコパッケージの健康警告デザイン」コンテスト募集要項公表
3月27日 公職選挙立候補者タバコ問題アンケート参考資料を掲載公表
3月28日 横浜タバコ病訴訟を支援する声明
3月29日 東旅協・全乗連にタクシー全面禁煙化の申し入れ(日本禁煙学会、全国禁煙分煙推進協議会、タバコ問題首都圏協議会、タクシー全面禁煙をめざす会の4団体での要望)
3月30日 植木等氏の喫煙に関する日本禁煙学会の見解公表



日本禁煙学会雑誌
(禁煙会誌)
ISSN 1882-6806

第2巻第4号 2007年4月1日

発行 特定非営利活動法人 日本禁煙学会


〒162-0063
新宿区市谷薬王寺町30-5-201 日本禁煙学会事務局内
電話 090-4435-9673
ファックス 03-5360-6736
メールアドレス 



無断転載や商用利用、フレーム内表示を禁じます。
Copyright (C) 2007 Japan Society for Tobacco Control. All Rights Reserved.