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■ この文書はFCTC第8条(受動喫煙の防止)を実行するためにWHOが全締約国に向けて行った勧告である。オリジナルPDFファイルは下記からダウンロードできる。この日本語訳では、勧告本文と、補遺の翻訳が必要な部分だけを訳出した。(日本禁煙学会理事 松崎道幸)
http://www.who.int/tobacco/resources/publications/wntd/2007/pol_recommendations/en/index.html
2007年6月 PROTECTION FROM EXPOSURE TO SECOND-HAND TOBACCO SMOKE Policy recommendations ©World Health Organization 2007
受動喫煙防止のための政策勧告 世界保健機関 2007年
こどもやおとなに重大な病気を引き起こす環境汚染である受動喫煙にこれ以下なら大丈夫という安全レベルがないことが科学的に確固として証明されている。受動喫煙の有害な影響をなくすには屋内完全禁煙(100% smoke-free environments)という方法以外ありえないことも反論の余地なく証明されている。(訳者注:100% smoke-free environmentsは、広い意味では屋外でも受動喫煙もなくすることだが、この文書の意図するところは『屋内完全禁煙』である。)それだけでなく、いくつかの国と数百の地域において、大きな抵抗にあうことなしに、職場と公衆の集まる場所(訳者注:public placesを『公衆の集まる場所』と訳した。「公共の場」「公共の施設」とすると、役所や公民館などの官の施設と言う狭い意味になる。この文書の本意は、個人の住宅を除くあらゆる施設の完全禁煙であるから、あえて「公衆の集まる場所」と訳した。)の完全禁煙が法律で決められ実行されている。こうした地域ではどこでも、完全禁煙が履行されているだけでなく、法律の施行後さらに完全禁煙に対する支持が高まったことが明らかになっている。完全屋内禁煙法の実施によって、飲食サービス業界などに経済的悪影響が生じたところはなく、かえって売り上げの増える地域もある。さらに、心臓発作の発生率が即座に減るなど、健康増進効果のあることも明らかになった。 これらの経験から、政策決定者(=議員・自治体首長などの政治家)が市民を受動喫煙からしっかり守るための対策を成功裏に実施するうえで参考にすべき多くの教訓が生み出された。以下にそれを示す。 1. 市民の健康を守るには、自主規制でなく、法律で完全禁煙化を義務付けることが必要である。 2. 法的規制は単純明快で実行が容易かつ包括的であらねばならない。 3. 時に代理偽装組織を通じて行われるタバコ産業の反対活動への反論を準備しておくこと。 4. 実効のある法律を作るには市民社会の参加がカギとなる。 5. 法律の円滑な実施のためには、教育と対話が必要である。 6. 法律の執行計画に加え、実施に必要な土台の整備が不可欠である。 7. 完全禁煙環境の遵守状態を見張る必要がある。可能なら禁煙対策のもたらしたインパクトと経験を記録すべきである。
WHOは、これらの経験に基づき労働者と一般市民を受動喫煙から守るために以下の勧告を行う。
1. 完全禁煙を実施し、汚染物質であるタバコ煙を完全に除去すること。屋内のタバコ煙濃度を安全なレベルまで下げ、受動喫煙被害を受けないようにする上で、これ以外の方策はない。換気系統が別であろうとなかろうと、換気と喫煙区域設置によって(訳注:つまり「分煙」によって)受動喫煙をなくすることは出来ないし、行うべきでない(訳注:not recommendedは「勧められない」だが、「〜すべきでない」という強い禁止を含むと解釈した)。 2. すべての屋内の職場と公衆の集まる場の完全禁煙化を義務付ける法律を作り施行すること。法律は適用除外を設けず、すべての市民を保護する内容であること。法的拘束力のない自主的取り決めは、望ましい対策とは言えない。一定の状況の下では、例外なくすべての人々を効果的に受動喫煙から守る見地から、屋外またはそれに準ずる職場も完全禁煙とする必要がある。 3. 法律を周知させ、履行を徹底させること。法律を作るだけでは十分とは言えない。その法律を適切に周知させ履行するには、要点を突いたある程度の努力と方策が必要である。 4. 職場を禁煙にする法律が出来ると、家庭を禁煙にしようという市民(タバコを吸う者も吸わない者も)が増えることを見越し、家庭の受動喫煙をなくす教育的対策を実施すること。
WHOは加盟国がこれらの勧告に従って、学んだ教訓に沿って、職場と公衆の集まる場所を完全禁煙にする法律を作り実施するよう呼びかける。
本勧告の背景と根拠 ここ数年で、受動喫煙の健康影響、屋内禁煙の健康増進効果、屋内禁煙実施の先進的経験に関する新たな証拠と知見が次々と明らかとなった。これらの証拠と経験を集約し普及することは、政策立案者(政治家)や公衆の健康を守る活動を行う人々に、市民の健康を守るためには屋内禁煙環境が必要であり、屋内禁煙は世論の圧倒的支持を受けるものだという事を認識させるために決定的に重要である。WHOが受動喫煙防止対策の勧告を行おうとしている理由はまさにここにある。受動喫煙が大人とこどもに重大な障害と死亡をもたらすことを証明するデータが次々と発表され、証拠が積み上げられてきたことにより、受動喫煙が健康に対する大きな脅威であるとの明確な科学的合意が作り上げられている。最近発表されたいくつかの報告書―2004年の国際ガン研究機構(IARC)モノグラフ、2005年のカリフォルニア州環境保護局(Cal/EPA)報告書、そして2006年の米国公衆衛生長官報告―では、これらの証拠がまとめられ、受動喫煙の有害影響に関して明確でゆるぎのない結論が述べられている。 この積み上げられた証拠をよりどころとして、全世界の市町村、地方(subnational)[a]および各国政府は、受動喫煙から市民を守るために、職場と公衆の集まる場所を全面禁煙とする法律を制定するようになっている。職場と公衆の場を禁煙とした地域では、受動喫煙が減り、受動喫煙にさらされていた労働者の健康が速やかに改善している。 またタバコ対策を前進させる上でも、屋内禁煙は極めて有効な対策である。なぜなら、喫煙者が喫煙量を減らす、禁煙する、あるいはこどもの喫煙開始を抑止する効果があるからである。それにとどまらず、屋内禁煙法は適切に施行されたなら、大多数の市民から支持を受けるだけでなく、とてもしっかり守られている。屋内禁煙法制は、喫煙が非常識であると言うメッセージを強力に発信している。 最近の屋内禁煙法制の広がりにより、屋内禁煙を実現することがとても望ましいことであると理解されるようになり、屋内禁煙法を作ろうという意欲が世界中に満ちている。アイルランド、ニュージーランド、スコットランド、ウルグアイなどの先進国と発展途上国、バミューダなどの地方行政単位[b]は、1970年代後半北アメリカで制定が始まった屋内禁煙法を見習った法律を地方単位で制定してきた。この取り組みが一様に成功したため、これらの国々では、次に労働者と一般市民をほとんどすべての屋内の職場と公衆の集まる(バーとカジノを含む)場所における受動喫煙から守るための法令を制定し執行してきた。これらの法律には強力な世論の支持が寄せられている。これらの経験に学びたいと考えている国は多い。 1970年代からタバコ産業は、屋内禁煙法を「タバコ産業の盛衰を左右する史上最大の危険事態」と認識してきた。1 タバコ産業は、タバコ産業が資金を出している偽装組織を使って、それが全国レベルであろうと地方レベルであろうと、屋内禁煙法の制定と実施を積極的に妨害する策動を行うことを常としてきた。タバコ産業は、WHOが受動喫煙には害がないという結論を出したというウソまでついて受動喫煙の有害性の証拠を否定する策動を続けてきた。事実は反対で、WHOは首尾一貫して受動喫煙は人を殺すと言う結論を出している。 世界の140以上のWHO加盟国と欧州共同体が締約国であるWHOタバコ規制枠組条約(WHO FCTC)が課した条約上の義務を果たすために、受動喫煙の防止に関するより明確なガイダンスを作ることがWHOに求められている。WHO FCTC第8条(受動喫煙防止)は締約国に次のことを義務付けている: 締約国は、屋内の職場、公共の輸送機関、屋内の公共の場所及び適当な場合には他の公共の場所におけるたばこの煙にさらされることからの保護を定める効果的な立法上、執行上、行政上又は他の措置を国内法によって決定された既存の国の権限の範囲内で採択し及び実施し、並びに権限のある他の当局による当該措置の採択及び実施を積極的に促進する(せよ)。2 (訳注:これはFCTC外務省訳だが、「公共の場所」と言う訳は民間の施設を除外する意味が強く不適切。「公衆の集まる場所」としたほうが、出来る限り幅広い解釈を行うべきという条約の精神に合う)
2006年2月の第1回WHO FCTC締約国会議は、条約第8条に関するガイドラインを作成することを最優先課題とし、条約事務局に対してガイドライン作成作業を開始するよう決定した。同じ決定の中で、締約国会議は、第8条(のガイドライン)を作るためのたたき台を採択した。たたき台にはガイドライン策定のためのいくつかの参考資料が含まれており、本勧告もそのひとつである。3 以上をまとめると、この勧告は、疑問の余地なく解明された受動喫煙の危険性に対する回答であると共に、WHO FCTC履行プロセスが順調に進むよう援助し、屋内禁煙志向の高まっている数多くの行政単位へのガイダンスとなるものである。
勧告の作成 Global Tobacco Control研究所タバコ規制調査評価に関するWHO共同センターとジョンズホプキンス・ブルームバーグ公衆衛生学部の援助の下に、WHOは2005年11月、ウルグアイの首都モンテビデオにおいて協議会を開催した。この会議の目的は、専門家を集めて受動喫煙の影響と屋内禁煙に関する問題を多面的に検討することにあった。この会議は、受動喫煙の健康影響、屋内タバコ煙の毒物学的検討、受動喫煙の経済に対する影響、屋内禁煙がタバコ消費と関連業界にもたらす影響、対策の決定と履行、屋内禁煙を促進するために必要な人的・金銭的資源の問題について討議を行った。これらの対策勧告は、ウルグアイ協議会[c] の検討に基づいている部分もあるが、すべてのWHO地域の広範な専門家グループと、カリフォルニア州立大学サンフランシスコ校タバコ規制政策WHO共同センターを含む様々な領域(補遺1―受動喫煙対策に関する勧告についてのウルグアイ・モンテビデオ専門家協議会参加者とオブザーバー名簿参照)におけるレビューによってさらに豊かにされた。 本勧告は、WHO加盟国に受動喫煙問題を科学的に解明し、屋内禁煙法が健康と経済にもたらす効果を明らかにし、政策決定者に実績に裏付けられた執行可能な屋内禁煙対策を推進するうえでの手引きとなるよう作成された。
受動喫煙の健康影響 (訳注:タバコ煙に汚染された空気を吸い込むことを受動喫煙という。タバコ煙の混じった屋内の空気をsecond-hand-tobacco smoke=SHSと呼ぶ。SHSは「屋内のタバコ煙」と表現することもできる。)屋内のタバコ煙(SHS)は、紙巻タバコや葉巻の点火部から発生する煙と喫煙者が吐き出す煙の混合したものである。SHSは数千種類の化学物質、250種類以上の発ガン物質・有毒物質を含んでいる。4 50年前から現在に至るまで受動喫煙による健康被害の証拠が積み上げられてきた。1950〜60年代には、こどもと胎児への受動喫煙の影響が注目された。5−7 その後受動喫煙がこどもと大人に様々な重大な病気を起こすことが無数の研究で明らかにされ、受動喫煙の健康影響について強固な科学的合意が形成された。WHO、IARC、米国公衆衛生長官、米国環境保護局、カリフォルニア州環境保護局をはじめとする世界中の多数の科学専門団体、医学団体が、受動喫煙は呼吸器病、心臓病、ガン、こどもの健康と発育への障害をもたらすと述べている。8−13 IARCが2004年に受動喫煙とガンの関連をレビューしたモノグラフを発表したが、2005年にカリフォルニア州環境保護局14、2006年に米国公衆衛生長官15がそれを受けてさらに最新のレビューを行って報告書を発表している。カリフォルニア州環境保護局と米国公衆衛生長官報告の結論は補遺3に示した。
大人への影響
虚血性心疾患(CHD). 受動喫煙が致死的あるいは非致死的心臓病の原因となることは、国や人種の違いを超えて証明されている。受動喫煙は、善玉コレステロールを減らし、血液をドロドロにし(血小板凝集能亢進)、ごく短時間(30分以内)に心臓の血管(冠状動脈)を収縮させ、ほとんど能動喫煙者に匹敵する病的変化を非喫煙者にもたらす。14−16 アメリカ心臓協会17、米国公衆衛生長官15、カリフォルニア州環境保護局14、イギリスタバコと健康に関する科学委員会18などの諸機関は、一致して、受動喫煙が心臓病を引き起こし、心臓病死のリスクを約30%増加させるとの結論を出している。しかも、リスク増加率はさらに2倍以上であると言う知見も最近報告された。19
肺ガン.受動喫煙と肺ガンの関連を示す研究は、喫煙者の夫をもつ非喫煙の妻の肺ガンリスクが高まっていることを報告した1981年の研究20,21以降、世界中で数十件報告されている。IARC,米国公衆衛生長官、米国環境保護局をはじめ多くの科学専門機関はそろって、受動喫煙が非喫煙者に肺ガンを起こすとの結論を発表している。9−15
乳ガン.SHSを「toxic air contaminant有毒空気汚染物質」に指定するプロセスの一環として作成されたカリフォルニア州環境保護局の2005年の報告書によれば、閉経の前と後に分けて乳ガンと受動喫煙の関連を検討した14件の研究中、13件で、閉経前の若い世代の乳ガンのリスクが受動喫煙で70%高まることが明らかにされた。この疫学調査成績に加え、乳ガンの生物学的特徴に関する知見、SHSが乳ガンを発生させる発ガン物質を20種類含む事実、それらの発ガン物質がヒトの乳腺細胞の遺伝子を傷つけると言う実験的事実を総合して、カリフォルニア州環境保護局は受動喫煙が閉経前の若い女性の乳ガンの原因となると言う結論を出した。14、[d] 米国公衆衛生長官報告では、乳ガンと受動喫煙に因果関係の存在が示唆される証拠があると述べている。15
呼吸器症状と呼吸器疾患.受動喫煙によって慢性の呼吸器症状が出るようになり、呼吸機能も明らかに悪化する。14 受動喫煙は大人に気管支喘息を発病させ、また気管支喘息を悪化させる。14
こどもへの影響
呼吸器疾患と呼吸器症状.母親の喫煙も父親の喫煙も、こども、特に1歳未満のこどもの下気道疾患すなわち気管支炎、肺炎の原因となる。15,22,23 親が喫煙者であると、そのこどもに咳、痰、喘鳴などの日常よく見られる呼吸器症状がさらに増加する。24,25 この関連は両親とも喫煙者である場合にもっとも顕著である。
気管支喘息.受動喫煙は(先に述べたように大人だけでなく)こどもに新たに気管支喘息を引き起こし、すでにわずらっている気管支喘息を重くする。14,26,27 家庭で受動喫煙にさらされている気管支喘息のこどもは、救急外来の受診頻度と薬の量が増える。28,29
肺の成長・発達.米国公衆衛生長官は1986年に受動喫煙が小児期の肺の成長を阻害すると述べたが、その後、この結論を支持する成績が次々と出ている。11,15,30,31 妊娠中の母親喫煙も出生後の受動喫煙の両方がこどもの肺の成長を抑える。
中耳炎.受動喫煙は中耳炎を引き起こす。中耳炎は代表的なこどもの外来通院疾患であり、もし適切な治療を受けなければ難聴の原因となる。13,15,32
出生前および出生直後の影響
タバコを吸わない女性が妊娠中に受動喫煙にさらされると、低体重出生や早産が増える。14,33,34,35 受動喫煙は乳幼児突然死症候群(SIDS)を引き起こす。15,36 子宮内発育遅延や流産も受動喫煙に関連している可能性がある。14,37
受動喫煙にさらされる人はどれくらいいるか 受動喫煙にさらされる人の割合はどの国でもとても多い。保健医療関連施設でも、医療従事者でさえも高率である。「世界若者タバコ調査(GYTS)」によれば、若者の受動喫煙率も高い。1999年から2006年に132カ国で行われた調査では、13〜15才児の44%は家庭で、56%は家庭外の建物内で調査の1週間以内に受動喫煙にさらされていた。38 メキシコ国立保健研究所の職員の91%は何らかの受動喫煙にさらされていると答えている。39 10カ国の医療系学校3年生に対する調査によれば、家庭での受動喫煙率は、ウガンダで30%、アルバニアで87%、公衆の施設における受動喫煙率はウガンダで53%、セルビアで98%だった。40 最近数年で米国市民の受動喫煙率は大幅に低下しているが、タバコを吸わない大人の40%と3才から11歳の子供の60%が依然としてSHSにさらされていることが、2006年の米国公衆衛生長官報告のレビューしたコチニンを用いた調査で明らかになった。15 先進国と発展途上国の39ヶ所の様々な施設のほとんどでSHSが検出されたことが最近の二つの調査でわかった。41,42 ラテンアメリカ7カ国で病院・学校・政府施設を含む屋内の空気を測定すると、94%でニコチンが検出された。41 喫煙オーケーと禁煙の屋内の粉じん濃度を測った調査によれば、屋内の空気の質が許容基準内だったのは調査した32か国中、国として包括的屋内禁煙法を施行しているアイルランドとニュージーランドのわずか2カ国だけだった。42,43 (訳注:受動喫煙による死亡リスク増加率が大きくなくとも)多くの人が受動喫煙にさらされたことで社会全体が蒙る健康被害はとても大きくなる。例えば、カリフォルニア州環境保護局は、受動喫煙のために米国で毎年3400人が肺ガンで、23000人から70000人が心臓病で死亡すると推定している。米国のこどもは受動喫煙のために、毎年SIDSで430人が死に、24500人が低体重出生し、71900人が早産となり、20万人が喘息発作を起こし、中耳炎のために79万人が外来を受診しているとの推計もある。13,44 受動喫煙による死亡者数の推計値は少なくとも27カ国について発表されている。45-49
受動喫煙による経済損失 受動喫煙は、個人、産業、社会全体にそれぞれ経済的損失をもたらす。経済損失には、直接医療費、間接医療費および生産性喪失が含まれる。さらに、禁煙でないオフィスはクリーニングとメンテナンスに費用がかさみ、火災の危険もあり、損害保険料も高くなる可能性がある。50 受動喫煙がもたらす経済損害については、オーストラリア、カナダ、香港、アイルランド、イギリス、アメリカで試算が行われている。51 コストの計算方法によって試算額は異なるが、莫大な金額になるのは間違いがない。 米国保険経理協会の最近の研究によれば、受動喫煙による直接医療費と間接医療費(障害・賃金と給付金の喪失)は毎年それぞれ50億米ドル以上と試算されている。52 香港では毎年1億5600万米ドルの受動喫煙関連直接医療費、長期間のケアと生産性喪失がもたらされると推定されている。53
効果的な受動喫煙防止対策
屋内完全禁煙 受動喫煙に安全レベルはない。14,15,54 したがって、屋内での喫煙をなくすことだけが、人々を受動喫煙の危険から守る唯一の科学的根拠に裏付けられた対策である。屋内禁煙は健康を増進させる。この対策が実行されたところでは、受動喫煙が減って、健康が回復する。しかも、タバコ産業が主張している効果のない「全面禁煙に代わる対策」と比べても、とても費用効果が良い。ちなみにタバコ産業が偽装団体を通じて提案する「全面禁煙に代わる対策」55を以下に示す。
· 同じ屋内で喫煙者と非喫煙者を分離する(訳注:いわゆる「分煙」) · 「喫煙区域」を設定した上で、換気を増やし、空気清浄機を置く(訳注:これもいわゆる「分煙」。JTの主張参照http://www.jti.co.jp/sstyle/bunen/index.html)
効果のない「全面禁煙に代わる対策」 同じ屋内で喫煙者と非喫煙者を分ける. 完全な仕切りをせずに同じ屋内で喫煙区域と禁煙区域を分けても、受動喫煙をなくすことも減らすことも出来ない。56-60 非喫煙者がSHSにさらされる度合いは、部屋の大きさ、気流、喫煙区域と非喫煙区域の距離、喫煙本数などで大きく変わる。空調システムは、ほとんどの場合、タバコ煙で汚染された空気を非喫煙区域に再循環させる仕組みになっている。ラテンアメリカで空気中のニコチンを測った調査によれば、喫煙区域よりも非喫煙区域のニコチン濃度が高くなることもあるという。41 さらに、禁煙区域で働く労働者と喫煙区域で働く労働者の間でSHS曝露度に差がないという研究も発表されている。61,62
換気と空気清浄機+「喫煙区域」. 換気と空気清浄機を組み合わせたとしても、許容レベルまでSHSの臭いや濃度を減らすことは出来ない。63,64 換気速度を上げると、タバコ煙などの屋内空気の汚染物質濃度は下がるが、換気速度を基準の100倍以上に上げなければ、タバコの臭いをなくすることは出来ない。63 もっとも、タバコの臭いと有害物質の濃度は必ずしも比例しない。臭いがなくとも、有毒物質が高濃度となっていることも少なくない。有害物質の完全除去だけが唯一の意味のある受動喫煙対策であるが、それを実現するにはさらに換気速度を上げなければならない。しかし、このような(訳者注:強風が吹きぬけるような)換気は、技術的にもコスト的にも非現実的であるし、とても不快なので、そのような屋内で仕事をすることは出来ない。65 (訳者注:訳者の計算によれば、タバコの臭いを感じる閾値は、タバコ煙由来PM2.5が1μg/㎥のときである。このときでさえ、環境基準の50〜300倍の致死的汚染状態となっている) 同様に集中式あるいは分散式空気清浄化システムを用いても、屋内のSHSの有毒物質を許容レベルまで減らすことは出来ない。しかも空気清浄機の性能はすぐに低下するため、頻繁にフィルターを交換する等のメンテナンスコストは莫大となる。また空気清浄機自体が屋内空気の汚染に拍車をかける。タバコ産業とその応援団が宣伝する「one pass system片道システム」は、フィルターを通した空気を再循環させないので、常に外気を取り入れて加温・冷却しなければならず、コストはとても高くなる。いずれにせよこうした設備で屋内のタバコ煙濃度を安全レベルまで下げる事は出来ない。66,67 数十年間にわたってタバコ産業から圧力を受けていたにもかかわらず、68 米国における換気空調基準設定の指導的専門団体である米国冷暖房空調技術協会(ASHRAE)は、屋内で喫煙が行われている場合の換気に関する勧告規準の設定をやめている。ASHRAEは2005年の環境タバコ煙[e]問題に関する方針書で「現時点で、屋内のタバコ煙への曝露をなくする唯一の効果的な手段は喫煙を禁じることである」と結論を述べている。59 同じ方針書には「公衆の利益のために活動するというASHRAEの方針に基づき、環境タバコ煙への曝露を最低限にする最上の方法が屋内での喫煙をなくすることであり、わが協会はその実行を呼びかける」と言う記述もある。 国際標準化機構(ISO)は、ビルディング環境デザインに関する作業委員会ISO/TC205が準備した換気とタバコ煙に関する基準勧告書ISO16814の草案を検討中である。しかし政治家と行政担当者は、ISO基準が過去にタバコ産業の強力なロビー活動の圧力のもとに定められたことを想起すべきである。68 さらに、現在のISO16814草案が「喫煙環境の中で換気と空気フィルターを併用して適切な安全環境を実現することは無理である」70と認識しているのに、換気によって喫煙区域の空気が禁煙区域に入り込むことを防止できると言う幻想を述べている。換気とSHSに関して最新の科学的根拠に基づいているのは、現在のISO16814草案ではなく、2005年のASHRAE方針書の方である。 いくつかの地域で特定の条件の下で許可されているタバコ産業が推進する換気に重点を置いた「対策」がある。それは、喫煙区域と禁煙区域を物理的に区切り、換気系統も別々にするというものである。このいわゆる「designated smoking room(DSRs)」(訳者注:訳せば「指定喫煙室」だが、日本のいわゆる「煙の漏れない喫煙室」あるいは「完全分煙」設備にあたる)は、喫煙室の空気を屋外に排気し、給気も別系統で行い、喫煙屋内の気圧を周囲よりも低く保つ仕組みとなっているが、どれくらい受動喫煙被害を減らすかについて研究が行われている。その研究によれば、そのような部屋を作っても、SHSをある程度減らすことが出来るが、完全に除去することは出来ないことが明らかになっている。さらに「煙の漏れない喫煙室」を作っても、隣接する禁煙区域に居る非喫煙者のSHS曝露をなくすることは出来ない。71,72 また、その中で働かざるを得ない労働者を受動喫煙から守れない。そして喫煙者はより高度のSHSにさらされ、健康への危険度が一層高まる。73 例えば、指定喫煙室のドアは、人々が出入りするたびに、煙を部屋の外に汲みだすポンプの働きをする。 指定喫煙室は設置が困難で、とても費用がかかる。(ボックス1参照) -----------------------------------------------------------------------------------【ボックス1】 なぜ「煙の漏れない喫煙室=指定喫煙室」ではダメなのか? · 喫煙室から煙を漏れないようにすることは極めて困難で、設置とメンテナンスに莫大な費用がかかり、設計図通りに製作・運用されないことが多い。またそれを利用する喫煙者とその中で働く労働者を高濃度のSHSにさらす。 · 禁煙区域から独立した空気清浄装置と換気システムを設置するとしても、それはひどい刺激症状が出ないレベルまでタバコ煙濃度を減らすことを目的としたものであり、少しも受動喫煙の害を減らす役には立たない。 · 法律で労働者を指定喫煙室に立ち入らせてはならないと定めても、実際は雇用主が従業員に喫煙室の中で顧客にサービスするよう圧力をかける恐れがある。 · 営業中、接客のために指定喫煙室のドアは絶え間なく開け閉めされる。それどころかドアを開けたままにすることもある(喫煙者でさえ煙いから入りたくないと言うことがある)。開いたドアから禁煙区域に大量のタバコ煙が流入する。 · 指定喫煙室を認めると、法律執行担当部局のコストが激増し、法律の執行にも大きな障害がもたらされる。 出典「Ontario Campaign for Action on Tobacco」 ------------------------------------------------------------------------------------ 法令で指定喫煙室の設置を認めた地域の中には、(ボックス1に示した)法令執行上の問題点に直面したため、指定喫煙室の設置を認めないよう法令を改正したところもある。74 接客産業に指定喫煙室の設置を認める動きは、労働者の健康を守るうえで極めて望ましくない事態である。なぜなら、指定喫煙室の設置を認めると、従業員が恐ろしく高濃度のSHSにさらされることになるからである。そればかりでなく、指定喫煙室の設置を容認し、さらに悪いことだが、設置を義務付けると、関係業界に高価だがまったく効果のない換気システムへの投資を強制することになり、将来屋内完全禁煙法を制定する上で大きな障害となる。なぜなら、多くの会社や団体がこのような無駄なシステムに多額の投資をしてしまうからである。[f]
屋外とそれに準ずる場所 タバコ煙を有毒空気汚染物質に認定するためのカリフォルニア州環境保護局が行った研究レビューによれば、喫煙者数、囲いの状況、風速・風向などの気象条件によっては、屋外のSHS濃度が屋内と同じくらい高くなる可能性があるという。14 しかしながら、屋外のSHS濃度は概して喫煙の行われている屋内よりも低い。 遊園地の屋外喫煙可の区域のすぐそばにある建物内の平均ニコチン濃度(2.4 μg/㎥)は、週あたりの喫煙本数が50本未満の喫煙者の住む住宅内と同じレベル(<3μg/㎥)である。したがって、屋外で働く時間が非常に長い労働者、たとえば屋根つきあるいは部分的に覆いのある喫煙可の中庭で働くウエイター、警備員、ドア係の受動喫煙曝露は高度となりうる。 海水浴場77,78、屋外スタジアム79、中庭80、ビルの入り口のそば81をはじめとして屋外での喫煙を禁止している地域75,76や施設もある。このような決定は、屋内が禁煙なのだから屋外も禁煙にせよという世論に押されて行われることも少なくない。 屋内のすぐ隣の屋外(たとえば中庭)が喫煙可の場合あるいはドアや空気取り入れ口が開け放しになっている場合も受動喫煙が問題となる。熱帯や亜熱帯の国々でよく見られることだが、屋内と屋外をしっかり区切る壁がない場合すなわち「屋内といっても事実上屋外」の環境でも、受動喫煙の問題が浮上する。以下のことが問題となる。
· 開いたドアや窓から屋外の喫煙区域で発生したタバコの煙が直接入ってくる。アイルランドでの調査によれば、アイルランド禁煙法の施行後、接客産業の従業員の受動喫煙が大幅に減ったが、屋外に指定喫煙所を設置したバーの室内ニコチン濃度は、それを持たないバーよりも有意に高かった。82 · 禁煙法の執行に当って、屋内と屋外の区別があいまいとなる問題。83−86 たとえば、経営者が中庭に屋根やテントを設置して屋内喫煙禁止を骨抜きにするおそれがある。 · このような屋外に準じた場所を喫煙可にすると、その中で働く者を健康上とても許容できない濃度のSHSにさらすことになる。屋内に匹敵する高濃度の受動喫煙状態となるおそれもある。14
オーストラリア、ニュー・サウス・ウェールズ州は、「屋外に準ずる」施設問題による苦労を経験している。同州の法律では、25%以上開放されていれば屋外施設と認定するという基準が作られた。その結果、多くの業者が図1に示すような合法的「屋外喫煙可能席」を設定した。
図1 オーストラリア、ニュー・サウス・ウェールズ州の某クラブ「屋外席」。同州ではこのような屋外喫煙可能施設が合法となっている。(写真提供:ASHオーストラリア)
あらゆる場所で受動喫煙を効果的に防ぐには、そこで働く者の健康を守り、法のもとでの平等原則を確保し、執行が容易であるように考えると、屋外とそれに準ずる場所を禁煙としなければならない。最低限、このような区域を喫煙可能区域と指定することを許可すべきでない。なぜなら、屋内の完全禁煙が十分な長期間守られたのち、世論が、禁煙施設のすぐそばの屋外も禁煙にすべきだと望むようになった時に、対応が容易だからである。
屋内全面禁煙は健康と喫煙率にどのように影響するか
屋内を禁煙にすると、屋内の空気の有毒物質濃度は著明に減り、SHSにさらされていた人々の健康を速やかに回復させる。
空気中の有害物質濃度があっという間に減る 肺の奥まで吸い込まれて肺や心臓を傷つける超微粒子の濃度(PM2.5)は、アイルランドのバーでは、禁煙法が執行されてから83%低下した。空気中のニコチンも83%低下した。また従業員の申告による週当たり平均受動喫煙曝露時間は30時間からゼロ時間に減少した。87 この受動喫煙の減少に伴い、タバコを吸わない接客産業従業員の受動喫煙曝露マーカーの値も低下した。バー従業員で非喫煙者の呼気中一酸化炭素濃度は45%減り、タバコをやめた従業員でも36%減った。87 接客産業従業員でタバコを吸わない労働者の唾液中のコチニン濃度は、禁煙法施行後、69%低下した。
労働者の健康が回復した 屋内禁煙法施行1年後の自己申告調査で、アイルランドのバー従業員の呼吸器症状が16.7%減っていた。88 カリフォルニア州における調査では、バー禁煙法の施行前と比べて、施行後8週間でバーの従業員の呼吸器症状が59%、粘膜刺激症状が78%減った。89 ニュージーランドの2002年の調査では、禁煙のオフィスで働く労働者の呼吸器症状と粘膜刺激症状は、接客産業の従業員よりも少なかった。(職場の禁煙法は2004年12月に施行された)90 スコットランドで2006年に屋内の全面禁煙法が執行されて以後、バーの従業員は、呼吸器症状が減り、呼吸機能が改善し、全身の炎症所見が正常化した。気管支喘息を患っている従業員では気管支の炎症が減り、生活の質が向上した。91 米国のモンタナ州へレナとコロラド州プエブロでは、職場と公衆の集まる施設を全面禁煙にするという強力な法令が施行されてから、イタリアのピードモントと同様に、心臓発作(心筋梗塞)の発生率が平均20%[g]減った。比較対照の自治体では、心臓発作による入院率の減少は観察されなかった。しかしながら、ヘレナの禁煙条例がタバコ産業の圧力によって撤回された後、心臓発作による入院率は、条例施行前のレベルに増加した。93,94
屋内全面禁煙はとても効果的な禁煙推進策 屋内禁煙は非喫煙者の健康を守るだけでなく、喫煙そのものを減らす上でとても効果がある。世界銀行は、タバコを吸える場所を減らすことによって、タバコ消費量を4〜10%減らすことが出来ると述べている。95 オーストラリア、カナダ、ドイツ、アメリカの最新の研究によれば、すべての職場を禁煙にすることで、タバコ消費を29%減らすことができるという。96 この推計では、職場の禁煙化で、一日あたりの喫煙本数は3.1本減り、喫煙率は3.8%減るとしている。しかし、もし職場にタバコを吸える場所が設置されると、この効果は大幅に減ってしまう。 屋内を禁煙にする法律で義務付けられているわけではないのに、職場と公衆の集まる場の禁煙が法律で決められると、自宅も禁煙にする人が増える。97 家庭を禁煙にすると、こどもや他の家族が受動喫煙を受けなくて済むようになるだけでなく、喫煙者本人が禁煙に成功する確率も高まる。 実際のところ、特別な禁煙プログラムよりも、職場を禁煙にするほうが、少ない費用で禁煙を成功させることが出来る。禁煙者を一人作り出すためにかかる費用は、職場の禁煙化のほうがずっと少なくて済み、喫煙者にニコチンパッチを無料で支給する費用の9分の1だったと言う研究もある。98 最近包括的屋内禁煙法を施行したいくつかの国では、紙巻タバコ消費が減る、スモークレスタバコに切り替える喫煙者が増えるという変化があった(タバコ製品売り上げデータあるいは喫煙率調査の結果より)。99,100 禁煙法が施行されると直ちに「禁煙電話相談」のコール数が増加する事が多いが、2,3ヵ月後にコール数は平常に戻る。101
職場を禁煙にすると、若者の喫煙開始を減らすことが出来る 屋内禁煙政策は若者のタバコ依存を減らす可能性がある。職場を禁煙にして、地域全体も禁煙とする条例を作ると、10代の若者の喫煙経験率が下がるという複数の調査がある。完全禁煙の職場で働く10代の若者は、そうでない職場で働く若者より32%喫煙経験率が低いという報告がある。102 屋内禁煙が法律でしっかり決まっている地域の10代の若者の喫煙率はとそうでない地域よりも絶対値で2.3〜46.0%、相対値で17.2%低く、一人当たりのタバコ消費量は50.4%少なかったという。103 家庭を禁煙にするとやはり10代の若者の喫煙率が減る。他の家族の喫煙習慣の有無などを調整しても、禁煙家庭の若者は禁煙でない家庭の若者より26%喫煙経験率が低い。98 以上から、屋内の禁煙は喫煙の社会的受容度を減らす強力な効果があり、若者の喫煙開始予防効果がある。タバコ産業は喫煙を「大人の選択」と売り込んできた。したがって、バーやナイトクラブのような若者のあこがれる空間から喫煙をなくすことは、大人のしるしとしてタバコを吸うという喫煙の持つ象徴効果を減らすことにつながる。
まとめ
屋内禁煙は非喫煙者を受動喫煙から守る対策のゴールであるだけでなく、公衆衛生組織がタバコ対策の二大目標として掲げている喫煙開始防止と(喫煙者の)禁煙推進にも良い影響をもたらす。
屋内禁煙の経済効果 受動喫煙は経済損失をもたらし、屋内禁煙化は経済効果をもたらす。その内容は以下のとおりである。
· 屋内を禁煙にすると、受動喫煙の病気が減るため直接医療費が節約できる。保険のコストも減る(喫煙者は病気・火災・事故が多く早死しやすい) · タバコを止めた喫煙者と受動喫煙にさらされなくなった非喫煙者の仕事の能率が上がる(就業中の喫煙と病欠による労働時間の損失が少なくなるため) · オフィスのメンテナンス費用の節約 · 職場における受動喫煙訴訟リスクの低減、受動喫煙と他の物質の複合汚染の防止
これらによる経済効果は、とても大きい。職場の禁煙化が雇用主にもたらす経済効果はスコットランド104では、GDPの0.515%、アイルランド105ではGDPの1.1〜1.7%に匹敵する。米国労働安全保健管理局(OSHA)は、屋内禁煙によって労働生産性が3%向上すると試算している。106 屋内禁煙法の施行・徹底に必要な行政的経費(主に法令施行に当っての講習や禁煙の標識の設置費)が若干かかるが、禁煙法に対する受容度が増すにつれてこうした費用はかからなくなる(し、実際にそうなっている)。いずれにせよ、世界銀行は、職場の禁煙化で得られる経済メリットは、そのコストを大きく上回る。107 屋内禁煙は、接客業界に損害をもたらすと言う主張がしばしばなされる。しかし事実は正反対である。タバコ産業の主張に対する直接的反論108になるが、屋内禁煙法の施行後、接客産業の売り上げや雇用でみた経済影響は、施行前と変わらないか、もしくはプラスの経済効果が生み出されることが全世界的調査から明らかになっている。109,110 屋内禁煙政策を実行しても、この業界の顧客を減らすことにはならない。この業界113,114あるいは他の業界115,116において、メンテナンスコスト111,112や保険コスト、従業員の欠勤113,114は、禁煙法施行後減るようだ。このように、タバコ産業は、職場の全面的禁煙がタバコ消費量の大幅な低下を招くため、それをさせない活動を強力に行う必要性があるのである(ボックス2)。 ------------------------------------------------------------------------------------ 【ボックス2】 タバコ産業が語る「屋内禁煙のインパクト」 · 「屋内喫煙禁止の動きをおどして封じるためにわが業界が主張してきた景気悪化論はもはや効果がない。これを主張しても誰も信じない。われわれが昔行った「(禁煙にすると景気が悪くなるという)恐ろしい予測」がほとんど外れたのを見ればわかるだろう」フィリップモリス、1994年http://legacy.library.uscf.edutid/vnf77e00 · 「わが消費者がわが製品を使用する機会が減らされたなら、消費が減り、決算に悪い影響がもたらされる」フィリップモリス、1994年http://legacy.library.uscf.edutid/vnf77e00 · 「職場でタバコが吸えないので前よりも一日1本と4分の1本喫煙本数が減ったという人がいる。この1.25本減ったと言う数字は、全国で職場の禁煙で毎年70億本くらいタバコの消費が減ったということになる。つまり20本入りタバコ3億5千万箱にあたる。一箱1ドルくらいだから、職場がちょっと禁煙になっただけで、毎年2億3千3百万ドル売り上げが減ることになる」米国タバコ協会、1985年http://legacy.library.ucsf.edu/tid/owo03f00 ------------------------------------------------------------------------------------
いくつかの国と数百の地域では、法令執行上の問題に邪魔されずほとんどすべて[h]の屋内職場と公衆の集まる場の完全禁煙を勝ち取ってきた。88,101,117 こうした地域では、速やかに大きな保健上のメリットがもたらされ、87,118 さまざまな状況のなかで禁煙環境の実現が望ましく現実的な対策であることを証明している。これらの経験から、屋内禁煙法をスムーズに成立させ実施にうつすために学ぶべき多くの一致した教訓を引き出すことが出来る。
屋内禁煙化は自主規制でなく、法律で義務付ける必要がある 屋内完全禁煙を実現するための方法には法律と自主規制の二つが挙げられる。
自主規制 [i] ひとつの企業あるいは企業グループが自主的に施設を完全禁煙にする意志のあるとき、内規か政府に提出する合意文書の形で、自主規制が行われることがある。これは、屋内禁煙法の施行前に、屋内禁煙化政策に対する一般市民の支持を勝ち取るための教育プログラムの一環としては有用な手段である。たとえば、アルゼンチン、チリ、コスタリカなどは、地域社会と会社経営者に、受動喫煙問題を解決するために何らかの対策が必要であることを気づかせるためにこの手法を用いた。そして、自主的に屋内禁煙を実行した企業・団体は屋内禁煙法実現キャンペーンに欠かせない信頼の置ける協力者の役割を果たした。 しかし、強力な自主規制と言っても、法的規制に遠く及ばない限界がある。自主規制は、その名の通り、法的拘束力を持たないため、強制的に執行するメカニズムがない。また違反に対する罰則はないか、あっても軽い。さらに、自主規制を実行するかどうかは経営者や運営者個人の決断にかかっている。 業界の多く(特に接客産業)は、屋内禁煙を実行しない業者に客を取られるのではないかと心配するのが常であるため、いくら顧客が強く禁煙化を要求しても、自発的に禁煙化を実行する業者はごくわずかにとどまる。119 ある業者にとってベストの選択はその競合者にとってもベストの選択なので、屋内禁煙を自主規制で進めようとするのは、何もしないことと同じなのである。120 オーストラリアでは、接客産業の自主的企業規範の中に屋内禁煙化推進を掲げていたが、まったく効果がなく、その規範遵守率は低く121、レストランを完全禁煙にしようとした業者はニュー・サウス・ウェールズ州でわずか2%だった。122 イギリスでは、自主協定で店内禁煙にしたパブは1%に満たなかった。123,124 スペインでは、2006年の法律で、100u未満のバーやレストランを禁煙にするか喫煙可にするかを自己選択できるようにしたが、完全禁煙をえらんだ業者はわずか10%にすぎなかった。125 受動喫煙が健康を損なうということが広く知られてきたため、労働安全衛生や関連国内法を根拠とした労働者の訴訟が起こされる懸念が生じ、職場の禁煙化が進んだ地域もある。126,127 自主協定のもとで、ショッピングピングモール、映画館、交通機関などの職場を禁煙とした国では、包括的で例外のない受動喫煙防止対策が進まなかったため、接客産業をはじめ、大半の労働者が煙の害を受けている。
法律による対策 受動喫煙から十分に多くの人をまもる対策を実現する上で、法律で職場を完全禁煙にする方が自主協定よりもはるかに効果的である。言うまでもなく、受動喫煙の致死的汚染から公衆の健康と人権を守ることの出来る唯一の必要かつ十分な対策は法的規制である。なぜならば:
· 法的規制は履行義務があり、 · 確実に執行する仕組みを持ち · 違反には罰則が科され、 · すべての業者を同じスタートラインに立たせることができるからである。
ちなみに、フィンランドでは、自主協定期間に引き続き、多くの職場の禁煙を義務付ける法律を施行した。その1年後、労働者の受動喫煙は著明に減り、完全禁煙の職場が増えた。128 一般市民に、公平に厳格に屋内禁煙法を執行したいという趣旨の予告キャンペーンを行った地域では、法律は速やかに受け入れられ、すぐに多くの人が守るようになったという。最近の調査では、屋内完全禁煙法の遵守率は94〜99%に達している。129
法律は、単純、明快、履行しやすく、包括的であるべし しっかり守られる法律を作るためのポイントは以下のとおりである。
単純 法律はいつどこで喫煙が禁止されるかについて(たとえば、何時から何時まで、建物の外で、指定喫煙室に限る等々)複雑な基準を作らないこと。複雑にすると、法律を守らせるための労力と経費が莫大になる。単純に、あらゆる屋内職場、公衆の集まる場、交通機関は終日完全禁煙とすべきである。
明快、履行しやすさ 法律は、法律の適用される範囲(「職場」あるいは「屋内施設」)および執行責任者(その施設内でのほうの執行に責任をもつ監督官・所有者・管理者名を表示するなどして)明快に定義する必要がある。そして、禁煙とされる施設から灰皿を撤去するなどの、完全禁煙化実施上の要件を明快に指定すること。法律は、逮捕や裁判のような管理行政上の重荷となるような措置でなく、駐車違反の反則切符(または反則金)のような簡明な仕組みを作る必要がある。
はっきりしたわかりやすい表示 法律は、禁煙とするすべての建物の入り口と中に、誰にでもわかる共通の力強く明確な「禁煙」サインの表示を義務付けるべきである。(図2左端) -------------------------------------------------------------------------------------
図2 世界共通の禁煙マークと、各国の独自の禁煙表示 ----------------------------------------------------------------------------------- これらの表示は費用がかからないだけでなく、こうした表示は、非喫煙者の禁煙徹底要求を高め、喫煙者にどこが禁煙なのかを伝えて、法律の効果的履行をはかるカギとなる。これらの表示には、違反があった場合の通報方法も掲載すべきである。こうした簡単な表示に、禁煙のメッセージをもっと独創的で教育的な表現で追加するのもよい。(図2右4点)
包括的で例外のない受動喫煙防止 この法律では、特定の階層や施設を適用除外してはならない。政治的、社会的支持が得られないために特定の分野(バーなど)に法を適用できないなら、単純に法の対象から外すべきである。決して特例とか喫煙区域を必要とするという理由をつけた適用除外を行ってはいけない。バーなどの施設に対しては(理想的には1年以内の)妥当な猶予期間を置いた段階的導入策は受け入れられやすく、履行をかえって円滑にすると思われる。完全禁煙化をそれぞれの分野の状況に応じて段階的に行う必要のある地域では、この導入猶予期間を活用して、出来るだけ短期間ですべての職場と公衆の集まる場所を対象にした包括的完全禁煙法を実現するための政治的社会的支持を獲得すべきである。 この法律は、すべての人々を受動喫煙から守らなければならない。「弱者」や特定の集団を守るために、と言うスタンスで受動喫煙防止を訴えると、他の弱者でない人々を守る必要がないと間違って解釈されるおそれがある。 タバコ産業は、「こどもを守る」ためと特化した法律を利用して、受動喫煙の法的規制を骨抜きにした立法を行うことに成功している。130
どの行政単位を対象とした法律を作るのがよいか
屋内禁煙法をどのような地域を対象として制定すべきか、というのは重要な問題である。答えは、その国の法律体系と伝統、面積によって異なる。効果的な法律が作れそうなときは、どんなレベルであろうと行動すべきである。もしWHOが提唱する基準に合う強力な国内法の制定が政治的に可能なら、そして、効果的な履行の枠組みが得られるなら、長期間限られた地方の住民全体を受動喫煙から追加的保護する対策に過ぎない地方レベルの法令よりものぞましい。いくつかの国では全国レベルの法律を作って受動喫煙防止を効果的に実現している。例えばアイスランド、スコットランド、ウルグアイでは、地方自治体レベルでの対策の制限がほとんどない国内法を実現している。 もしWHOの勧告する基準にあう法的規制が全国レベルで実現する見込みがない場合、効果的受動喫煙対策を実施できる可能性のある地方レベルの法律を作ることに努力を集中するのがよい。地方レベルで実現した先例は、同じ法律の制定を望む動きを周りに広げ、タバコ産業が恐れる相乗効果=「ドミノ現象」をもたらす。 オーストラリア、カナダ、米国の屋内禁煙法の大部分は単位自治体レベルで実現したが、最近州レベルで実現している。米国で運動が始まった頃、公衆の健康を守る勢力は、タバコ産業を打ち破って強力な全国レベルあるいは州レベルの法律さえ成立させる資金も政治力もなかった。これらの国々では、次の二つの理由で、市町村レベルの強力な屋内禁煙法を成立させることが容易であった。
· 市町村の議員と首長は、(よそ者の)タバコ産業のロビイストよりも地元の住民の要望に敏感に反応した。カナダでは、地元の保健所長が支援者として有効な活動を行い、一般住民と議会の強い信頼を得ていた。 · (タバコ産業に比べて)公衆の健康を守る勢力の資金は乏しいことが多かった。この限られた資金を単位自治体に集中投下したことが成功のチャンスを増やした。
市町村の条例が上級の法令によって無効にされる懸念がある。例えば、米国では、タバコ産業がより小さな自治体がそれより強力な法律を決めても無効となる条文を挿入した、実際の役に立たない実行できない全国法を成立させる策動を常に行ってきた。131 強力な屋内禁煙法制定運動が世界中に広がるにつれて、タバコ産業は、他の国々で規制の甘い「先買い」法(「歩み寄り」「妥当な妥協案」と表現される)を積極的に推進するようになるだろう。 強力な市町村レベルの法律を守るためには、より大きな地方レベルで承認される法律がそれらを弱めるものであってはならない。逆に、その国の法律体系が許す範囲で、より下位の地方レベルの行政府が法律を作り、より強力なあるいは包括的な義務を課す法律に優先権を認めることを明確にうたった条文を入れるように定めるべきである。これはカナダのいくつかの地方で実施されている。そこでは、異なる法律で義務規定が重複したり不一致だったりした場合には、より強力な内容の規定を持つ法律を優先させる旨が明示されている。132,133 連邦政府が十分な喫煙規制の権限を持っていない場合、WHO FCTC第8条第2項に示されているように、禁煙法を成立させようとしている州、地方、単位自治体行政府に、国が技術的、財政的、管理的支援を与えるべきである。
反対に備える
屋内禁煙法を実現するキャンペーンを成功させるには、タバコ産業とその応援団の主張と戦略を予測して、彼らへの反論を準備しておく必要がある。主な反対の論理と主張を次に示す。
· タバコ産業は、屋内禁煙法は不要であり、実行できそうもないし、(レストラン・バー・カジノ業界などの)経済に悪い影響を与える、換気をしっかりするのが一番現実的な解決策だ、と言うだろう。このような根拠のない主張を政策決定に織り込んではいけない。幾百の地域で得られた経験から引き出された証拠は、その主張の正反対が正しいことをしめしている。すなわち、屋内禁煙法は多くの人の支持をうけるし、履行可能であり、経済に良い効果をもたらす(もちろん、屋内が禁煙になると本数を減らす、あるいは禁煙できる喫煙者がたくさんいるからタバコの売り上げの減るタバコ産業は例外)。政策決定者と公衆の健康推進勢力は、この証拠をよく学んで、禁煙法反対論を打ち破るために、世の中に広げる必要がある。第Y章補遺4参照。 · タバコ産業は、ホテルやレストラン業界の組織、カジノ関係団体などの身代わり団体に自分の主張を代弁させることが多い。タバコ産業が論争から離れた位置にいられるようしっかり画策する。既存の団体にタバコ産業が資金と策略を提供することもあれば、タバコ産業が屋内禁煙法に反対することだけを目的として新たな団体を立ち上げることもある。このような理由から、禁煙推進陣営は、誰が反対団体の資金を出しているのかを調べて、タバコ産業の関係する団体であるとわかったならその事実を一般市民とメディアに曝露する必要がある。タバコ産業の偽装グループに関する膨大な調査を行った結果、タバコ産業がどのように身代わり団体を利用してきたか、さまざまな国際的偽装団体がどのようにつながっているかがわかってきた。108 この調査は、政策決定者と公衆の健康推進陣営が、筋の通った反対論とタバコ産業の捏造した反対論を見分ける上で役に立つ。 · 大部分の反対論はタバコ産業発のものだが、まじめな反対論が予想外の人々から出されることもある。たとえば、高齢者ケア施設(例:米国ではナーシングホーム)は、屋内禁煙に反対しており、社会の支持を大きく得ている。134 タバコ産業は長い間接客業界にウソを教えてきた。そのため、レストラン経営者などの接客産業の経営者が真剣に禁煙法が成立すると商売にマイナスの影響となるのではないかと心配するのは無理もない。相談なしに禁煙法成立を急いだとタバコ産業などの手前勝手な反対派が非難する余地をなくすために、まじめな反対論に対してしっかり耳を傾けることが重要である。出来れば、そのような心配は無用だという証拠を彼らに説明すべきである。はじめは反対したが、後に禁煙化が大方の支持を得られることがわかった接客業界の人々が最も強力な支援者になると言う例も見られる(補遺4図3、ビバリーヒルズレストラン協会名誉会長Barry Vogel氏の発言参照)。[j] · 政策決定者は、禁煙法の適用除外が公衆の健康を損なうことにつながるからかえって高くつくことを肝に銘ずべきである。さらに、受動喫煙の害に関する公衆の受け止め方、禁煙法の履行の容易さ、禁煙法が適用される場所とそうでない場所を作った場合に法の矛盾を突いた訴訟が起こされる危険性についてもしっかり自覚する必要がある。
市民社会を味方につける
市民社会を運動に巻き込むことは、屋内完全禁煙法を実現する政治環境を作るうえでカギとなる。市民社会は政府の手の届かない層のネットワークにアクセスを持っており、屋内禁煙反対論を論破する上で好都合な自由な対話の行える条件を備えている。政府は屋内禁煙法を志向する活動への市民社会の参加をサポートすべきである。これらを効果的に行うには以下の点を考慮する必要がある。
· 公衆の健康を守る陣営は、屋内禁煙法を支援するために、すべての分野の組織の幅広い連合のもとに強力で一貫したメッセージを発信する必要がある。 · キャンペーンは長期間この課題の推進に喜んで打ち込んでもらえる献身的な政界あるいは市民社会の著名人を先頭に行う必要がある。 · 政府と市民社会は、屋内禁煙法を支援し履行する計画を作る必要がある。しかし、いままさに履行を大いに促進する政治的機会が多くの地域で生まれつつある。135 したがって、政府と市民社会は、そのような「チャンスを逃がさず」活用するよう心がける必要がある。 · 連合は広いにこしたことはないが、すべての公衆保健組織が参加しなければならないというものではない。参加者の顔ぶれによっては、強力かつ執行可能な法律をつくるべきだという呼びかけと政治的意思を大きく弱められる可能性があるからである。組織というものは、連合のパワーをひどく弱めるような圧力に負けてはいけない。有力な保健組織がすべて参加しなければダメだと言う主張が通って、キャンペーンが取りやめになった事例もある。この論理で行けば、運動は、最も取り組みの遅い、控えめな主張を持った組織にあわせなければならないということになる。運動には、信頼できる世論に基づいたリーダーシップが必要だが、あらゆる世論の賛同のもとで行わなければならないというものではない。
スムーズな履行のための教育対話活動を 政府が市民社会との共同のもとに担うべき肝心な作業のひとつは、国民とオピニオンリーダーに対して、しっかり知識と情報を届けるキャンペーンを続けて、受動喫煙の危険性を周知徹底させ、受動喫煙問題解決のためには、屋内禁煙法を作る以外に対策はないという認識をもたせることである。受動喫煙対策における利害関係者と幅広く対話を行うことが、地域社会を教育し屋内禁煙法の制定と履行を容易にする鍵となる。法的規制が不適当な一般家庭を対象として国民教育キャンペーンを行うことも有用である。 キャンペーンの要点は、家庭、職場、公衆の集まる場所での受動喫煙がもたらす健康被害、屋内禁煙が受動喫煙の健康被害をなくす唯一の科学的根拠に基づいた解決法であること、(受動喫煙被害を受けないという)すべての労働者が持っている権利は法律によって公平に守られる、完全禁煙が健康と経済の両方に良い影響を与えるのだから、健康をとるか経済をとるかという二者択一の考えは間違っている、とすべきである。 この教育活動は、法律制定の前に行う必要がある。法律の施行に先んじて教育的キャンペーンを行い、業界の経営者やビルの所有者に前もって法律の要点と法的責任を解説した情報パッケージを渡しておくと、法律の遵守度が高まり、政府が「拙速に」法律を作ったとか、準備不足だなどの非難に反論しやすくなる。
履行と執行の計画を作り、執行の土台を整備すること
屋内禁煙法の履行・執行計画および有機的な執行戦略を練っておくのが、屋内禁煙法履行を成功させる上で欠かせない。
· 前項で述べた業界用情報パッケージは、法律の履行と執行に大いに役立つ。法律による義務の明快な解説に加え、禁煙標識の表示義務についても述べておくこと。 · 監視団体(必要に応じて、他の当局のバックアップを受けた公衆衛生監視員など)を指定しておくことも大事である。彼らにはじゅうぶんな研修を行い、特に法律施行の最初の数週間から数ヶ月の活動が重要。 · (数ヶ月を越えない)「猶予期間」を設けて、違反者に対して、罰則を猶予し、自発的に法律を守るよう警告を与えるようにする。この猶予期間の設置は、多くの「違反」が故意でなく、単に法律を知らなかったことが原因で起きているという経験に基づく。 · 国民に対して、法律の執行は公平に行い、政策決定者は本気でそれを実行する覚悟だと伝えること。とくに違反を繰り返す施設に対して、猶予期間終了後、しっかり広報された厳格な執行活動を行うこと。タバコ産業が、屋内禁煙法が尊重されていないという印象を作り出すため、違反を奨励し宣伝しようとするため、この活動は特に重要である。136,137
履行の度合いをモニターし、出来れば、調査によって効果を明らかにし、経験を記録に残すこと
屋内禁煙政策の履行のためにこれ以上の調査や評価は要求されないが、履行の成功度と市民の支持の状態[k]、健康と経済への効果をモニターすることは極めて有用である。このようにして、屋内禁煙法に対する公衆と政治的支持を持続させることができる。外国のデータよりも国内の地域の禁煙法施行前後のデータのほうが、政治家を納得させやすい。このような情報はコミュニケーション戦略のカギの一つであり、他の地域が効果的な禁煙法を作るときに活用できるよう整えておくのが望ましい。経験を文書にして残すことは、他の地域での成功を勝ち取る上で大事である。先例となる法律とその経験を記録に残し、研究し、広く知らせることによって、屋内禁煙政策がどこでも実現できることが示され、成功の経験から学ぶことができる。これらの法律の内容およびタバコ産業とどのように戦ったかについては、国の違いを超えて、共通のものが多い。アイルランドなどでの最も成功した経験は、アイルランド政府がカリフォルニア州などでの経験を注意深く検討したことに基づいていたのである。
受動喫煙の広がりとその健康被害の大きさ(社会や経済にも深刻な被害をもたらしている)、屋内完全禁煙方針が最も費用がかからず多くの支持を受ける適切な解決策である、世界中で屋内禁煙法を成功裏に導入している地域が激増しているなどの理由から、WHOは、労働者と一般市民を受動喫煙から守るために、以下の勧告を行う。
勧告1:屋内は分煙でなく、完全禁煙でなければならない 屋内を完全に禁煙として、汚染物質であるタバコ煙を除去すること。これが受動喫煙を安全レベルまで減らして健康を守ることのできる唯一の有効な対策である。換気や分煙によっては、安全レベルまで受動喫煙を減らせないから、換気や分煙を勧めることはできない。
受動喫煙は大人とこどもに重大で致死的な病気をもたらす。受動喫煙に安全レベルはない。換気でこの深刻な健康被害を解決することはできないというのが保健専門家の一致した見解である。米国公衆衛生長官2006年報告書(649ページ結論3および10)はこう述べている:「職場を完全禁煙にする以外に受動喫煙を防止する対策はない。非喫煙者の受動喫煙への暴露を空気清浄機や換気でなくすることはできない」
勧告2:法律によりすべての人に完全禁煙を保証すること すべての屋内職場と公衆の集まる場所を完全禁煙にする法律を作ること。すべての人が例外なく受動喫煙からの完全な保護を保証されるよう法律を作ること。自主規制による受動喫煙対策は受け入れられない。ある条件の下では、すべての人に十分な保護を保証する原則に従って、屋外あるいはそれに準ずる職場も完全禁煙にする必要がある。
科学的根拠のある理由により受動喫煙対策が免除される特別な建物や分野は存在しない。いかなる人間も、受動喫煙によって健康が損なわれる。あらゆる人々を法律によって受動喫煙から守らなければならないという根本原則は人権の尊重原理に由来する。達成可能な最高水準の健康を保証される権利、命と健康な環境に関する権利は、国際人権法と数多くの国の憲法に述べられている。受動喫煙は人権法で定められた基本的人権に関する諸権利の行使を明確に妨害している。138 すべての労働者を受動喫煙から守る法律が、これらの権利を守るために不可欠である。公衆の健康を守る政府の義務と責任に照らして考えると、自主規制は不適切であり、効果がない。アイルランドの禁煙法から3ヶ月で、97%のパブは完全禁煙となっていた。自主規制協定から5年経つのにイギリスで禁煙となったパブは1%に満たない。
勧告3:法律を適切に履行し、十分な対策を講じて徹底させること 屋内禁煙法を成立させるだけでは不十分である。その法律を適切に周知し履行するには、要点を突いたある程度の努力と方策が必要である。
先進国・途上国を問わずすべての政府は、屋内禁煙法の制定と施行に必要な適切な予算を支出すべきである。タバコ規制への資金の支出は、WHO FCTC第26条[l]にうたわれている締約国が負う明確な条約上の義務である。屋内禁煙法の履行費用には、法律への支持を獲得する推進キャンペーン費用、世論調査費、履行のための教育費用、苦情受付電話への人員配置費用、禁煙法執行初期の査察官の一時的増員費用などが含まれる。 政府は、履行成功後に法律を否定する動きが出たときにも備える必要がある。タバコ産業の偽装グループが、禁煙法を有名無実にするために議会でロビー活動を行う、あるいは裁判に訴えると言う事態が想定可能である。屋内禁煙法に対する訴訟が起こされるのは、稀有な条件下でだけだった(たいていの場合、法律の執行前の相談が不十分だったとか法的管轄が変わったので法律の適用を免れるなど)が、政府は法律の履行前後に法律の持続性を確実にすべく行動する必要がある。139 これらに行動には、包括的な公衆教育キャンペーン、利害関係者との対話、この法律が公衆の健康を守ることにつながると述べる、あるいはこの法律がしっかり履行されているというデータを示すなどのことがある。
勧告4:家庭での受動喫煙をなくすよう教育を行うこと 職場の禁煙法が施行されると、(喫煙者も非喫煙者も)自分たちの家庭も禁煙とする動きが自発的におこるから、家庭での受動喫煙を減らすための教育戦略を実行すること。
すべての人々は、受動喫煙の危険性を知って、健康な環境を手に入れる権利を行使するにはどうすればよいか、そして家族を受動喫煙の害から守るにはどうすればよいかを知る権利がある。138 家庭はしばしばこどもや外に働きに出ない人々にとって最も受動喫煙の起きやすい場所なので、公衆の健康をしっかり守る立場に立つなら、この問題を解決する政策が必要である。教育は家庭における受動喫煙対策を進める効果的な戦略である。140,141 職場が禁煙になると、喫煙者の喫煙量が減り、自分たちの家庭を禁煙にしようと考える者が増える。142−144 したがって、職場の禁煙法は、家庭での受動喫煙をなくする最良の戦略である。 家庭の禁煙を促進する教育は、屋内禁煙法に大衆の支持を勝ち取るキャンペーンの重要な部分となりうる。そのキャンペーンでは、喫煙者に、特に親に、家庭の受動喫煙が引き起こす健康被害を伝え、家庭を禁煙にするよう勧めるメッセージを送り届ける。145−148 マスメディアキャンペーンを補足するものとして、タバコの箱の有害警告表示は確実に喫煙者に届くことが保証されたとても費用効果の高い広報媒体である。写真や絵による有害警告を主とする国々では、受動喫煙に関する警告表示もなされている。カナダでは、喫煙者の4人にひとりが2000年に導入された写真による警告表示をきっかけとして家庭での喫煙を減らしたという。149 ■ 以上勧告本文 ■ ■ 翻訳 松崎道幸 ■ [a] Subnationalとは、州、県、郡に当たる行政単位 [b] Territoryとは、WHOの加盟国でない地理的領域をさす言葉。国連はその行政権がどの国にあるかを問わない。 [c] ウルグアイ協議会に参加したからと言って自動的に本勧告を承認したことにはならない。 [d] カリフォルニア州環境保護局は閉経後の女性の乳ガンと受動喫煙に関連があるか否かは断定できないと述べている。 [e] カリフォルニア州環境保護局は屋内のタバコ煙について環境タバコ煙environmental tobacco smoke(ETS)と言う表現を用いている。WHOはsecond-hand tobacco smokeあるいはinvoluntary smokingと表現している。これらは同義である。
[f] ニューヨーク市長ブルームバーグ氏は、換気システムの設置を義務化したことによって生じた問題についてニューヨーク市健康評議会で次のような宣誓証言を行った。「他の市や州がそのような換気設備の設置を義務付けた経験は教訓的である。これらの地方の政策立案者が換気システムによって受動喫煙をなくすことはできないとわかったときに、新たな行動を提案した。結果はどうだったか? いくつかの地方の企業経営者は抗議した。なぜなら、行政府が旗を振って換気システムに投資させた金が無駄になったからである。」(2002年10月10日) (http://www.nyc.gov/html/doh/html/testi/testi1010-bloomberg.shtml, accessed 26 February 2007).
[g] スタントン A グランツ氏のメタアナリシスに基づいた。個人私信。 [h] たとえば、これまで成立した屋内禁煙法では、メイドやホテルのスタッフが中に入る必要があるにもかかわらず、ホテルの個室まで禁煙にする義務はうたわれていなかった。また喫煙可能の部屋の換気システムは独立していないので、ホテルロビー従業員、レストラン従業員は、自分の職場が禁煙であっても、受動喫煙にさらされることになる。たとえ法律でホテルの禁煙ルームの比率が決められ、喫煙可の部屋の換気システムが独立していなければならないと定められていても、指定喫煙区域を設置したときと同じ問題が生ずる。この問題にどう対処するかは屋内禁煙の法律を作るときに避けて通れない課題である。 [i] 本節では、完全禁煙の自主協定について論ずる。しかし、政策立案者は自主協定がかならずしも完全禁煙を提案せず、それどころか、強力な法律が施行されるのを防ぐために、アリバイ的にどこかを禁煙するだけにおわることを認識する必要がある。(Saloojee Y, Dagli E. Tobacco industry tactics for resisting public policy on health. Bulletin of the World Health Organization, 2000, 78: 902–910.) [j] 世界的に有名なZagat Survey guideの創始者Tim Zagat氏は最近米国の指導的レストラン業界誌に重要な支援文を寄稿した。「屋内禁煙法の反対者は、この法律が通れば小さな店は大損害を受けると言い張るが、真実は正反対である。私は、ニューヨーク市のマーケッティング・販売促進・ツーリズム部門を担うNYCカンパニーの代表を3年つとめた。そのさなかに、私はニューヨークが屋内禁煙都市に変貌し、レストランや夜の娯楽業界の景気がよくなった事実を目撃した。この法律の発効後、2004年にニューヨーク市が調査をしたところ、ニューヨーク市民の96%が以前と同じかそれ以上外食をするようになったと回答していた。それだけでなく、レストランとバーの業界の営業収入と雇用、酒類販売免許業者が増え、ほとんどすべての企業が屋内禁煙法を守っている。(Nation’s Restaurant News, 7 August 2006.) [k] 屋内禁煙法はタバコ産業にだまされた者を除いて、一般からの支持を強力に得ている。法律が守られていないと言う主張に反論しタバコ産業を孤立させるには、世論調査が有用である。 [l] 第26条は、「各締約国は本条約の目的を達成するために行う国内活動に関して財政的援助を行う義務がある。」と述べ、締約国が「発展途上国ならびに移行期経済国の、多分野にわたる包括的タバコ規制プログラムを発展させ強化を図る資金を供給する相互的、地方的、地域的ならびに多方向的チャンネルの活用を」推進するものとしている。 |
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