2008年「タバコ:あの人にもっと生きてほしかった」コンテストのページにもどる
入賞作品 |
3位 Win D.小松 様 「お父さんの新しいお父さんへ」
父の容態を気遣って、病院の廊下をうろうろする私のように、今から父が逝こうとするあの世とやらの世界では、父が生まれてくるのを今か今かと待ちわびて、父のおとうさんが産院の淡いピンクの廊下を右往左往しているのでしょうか。
お父さんの新しいお父さん、あなたの息子は、背の高い威風堂々とした男前です。その分女の人にもてるので、女性を見る目を養うように言ってあげてください。
お金に関してはちょっとルーズなところがあります。お金というものは、人を生かすこともできれば、だめにすることもあることをよく教えてあげてください。
あと、手先がとても器用です。つりも好きなので、よくつりの道具を手作りしていました。イカの引っ掛けづりの仕掛けなどを作らせたら天下一品です。父が縁側であぐらをかいて、仕掛け作りをしている姿が、私は大好きでした。だからぜひつりに連れて行ってあげて、大自然の中でのんびり親子でつり糸なぞたらしてください。
父のその器用なよく動く手は大きくて、縁日の人ごみの中で私の手を引くのは父の係でした。差し出された手の頼もしかったこと。
そう、私は父親っ子でした。おもしろい話があります。私が大学四年でアメリカに留学したときのことです。留学は父の影響でした。私がまだ幼稚園に行っていたころ、父は仕事の都合で一年間ブラジルに単身赴任していたことがありました。ブラジルから日本に帰ってきてからは、父はことあるごとに「今からの若い者は、世界に出て、自分の目で広い世の中を見なければいけんぞ」と言っていました。だから私はがんばって、大学の交換留学生のテストを受けたのです。なのに、私のアメリカ行きが決まったとたん、父は心配のあまり具合が悪くなり、そのあと三日間寝込んでしまったのです。そんなかわいい人なんです。
小さいころ体が弱かった私を、病院に連れて行くのはいつも決って父の役目でした。私が盲腸で入院したときも、手術室の前でずっと待っていてくれました。入院中、面会時間になると、病室のドアをノックして「よっ」と言いながら入ってくるのが待ち遠しかった。
かっこよくって、やさしい、やさしい、やさしい人でした。
今は、役目が入れ替って、父が入院し、私が見舞っているのです。でも、私には何もできません。手遅れだったのです。ただただ思うのは、もっと早くにタバコをやめさせるべきだったという後悔ばかり。そうすれば、こんな病気にはならなかったのに。そうすれば、もっと一緒にいられたのに。そうすれば、今こんな風に、私は暗い病院の廊下を、声を押し殺して泣きながら歩くこともなかったのに。
だから、お父さんの新しいお父さん、父のことをかわいがってあげてください。しっかりと抱きしめて、思いっきり愛してあげてください。だけどタバコだけは、タバコだけは絶対吸わせないでください。必ず、どんなことがあっても。その他のことは二の次でかまわないから。
もうすぐ、父はそちらへ行くでしょう。私たちが喪に服し、涙を流すころ、お父さんの新しいお父さん、あなたはわが子の誕生に喜びの笑みを浮べることでしょう。どうぞ、どうぞ父のことをよろしくお願いいたします。