2008年「タバコ:あの人にもっと生きてほしかった」コンテストのページにもどる


入賞作品

3位 橘 たまき 様


 私が六歳の時に、祖父が亡くなった。
 末期の肺ガンだったらしい。
 私は生まれた頃から祖父とは違う県で暮らしていたので、会えたのは年に二回。お盆とお正月のみであった。
 それゆえ、たくさんの思い出が残っているわけではないが、祖父との最後の年のことは今でもハッキリと覚えている。
 お盆の墓参り。蒸し暑い夕刻のことだった。
 祖父の地方では、夕刻に提灯を持って墓参りに行く。
 やぶ蚊との戦いでもあった。
 祖父は未だに疑問なのだが、タバコの煙を私にかけては、
 「これで蚊が寄りつかんからな」
 と満足そうに笑った。
 コホコホと煙たがる私に、祖母は眉をひそめた。
 「全く何でも適当に言うてからに、おじいさんは・・・・・・」
 辺りが真っ暗の墓参り。
 しかし不思議に怖いとは思わない。
 暗闇の中、祖父母や父母の持った提灯の灯りが、歩くたびに揺れて幻想的だった。そして祖父の吸うタバコの火が点いたり消えたりして、まるで蛍の光のようだった。
 「ほんまに墓参りの時まで吸うてからに−−−−−」
 祖母が呆れたように祖父を見るが、祖父は我関せずだった。
 「おじいさん、火の粉落として火事にしたらいかんよ」
 「大丈夫や。分かってるわ。そんくらい。死んだじいさんもタバコ好きやったから喜んでるで」
 父が線香に火をつけながら、
 「親父、この間の検査で肺に異常があるって言われたんやろ?」
 と言うと、祖父はキッと祖母をにらみつけた。
 「何でも言うてからに!雅夫が心配するやろうが」
 「そやかておじいさん、あんたお医者さんにもタバコのやにで肺が真っ黒じゃって言われたんやろ。一日に二箱も吸いよったらいかんわーって」
 祖父はプイと顔をそむけ、
 「医者は大袈裟に言いよるだけや!タバコ吸う者みんな病人みたいに言うてからに・・・・・・、自分の体は自分で分かるわ!」
 と、言い放つ。
 「でもお義父さん。精密検査せないかんのでしょう?」
 心配そうに聞いた母にも祖父は手を振り、
 「何も−−−−−。ホンマに大したことない。大丈夫や」
 と言うと、墓に手を合わせた。
 みんながそれに倣う。
 墓前のロウソクの灯り、線香の煙、祖父のタバコの火・・・・・・。
 しばらく静かな時が流れた。
 祖父がゆっくりと立ち上がり、私の頭を優しくポンとたたいた。
 「ほんなら行こうか」


 それから二ヶ月後、私が保育園で絵本を読んでいると、先生が近寄ってきた。
 「みっちゃん、お母さんがお迎えに来たよ」
 いつものお迎えの時間よりかなり早かったのでビックリした。でも早く帰れるのは嬉しかった。
 「お母さん!」
 私が母に駆け寄ると、母は深刻な顔をしていた。
 「今からおじいちゃんの病院へ行くわよ」
 「えっ?」
 母は驚く私の手を急いで引っ張って車に乗せた。
 「あっ、お父さんも一緒に病院に行くの?」
 お盆でもお正月でもないのに祖父に会えるのは何だかワクワクしていた。
 車で三時間。いつもなら休憩を入れてジュースでも飲むのだが、その日はそのまま走り続けた。
 父と母のピリピリとした雰囲気に、私は子供ながら、ジュースをねだるのはやめよう、と思った。
 父はしきりに時間を気にしていた。信号が赤になる度に、チッと舌打ちをした。
 母も落ち着かない様子で手を揉んでいた。
 私は車窓から見える紅葉を眺め続けた。
 祖父の家には夏と冬にしか行かないので初めての景色だった。
 日も傾きだした頃、ようやく病院に着いた。
 父が病室の番号を聞いて、私の手を引っ張った。
 「302号室やって!」
 「あなた、あそこに階段があるわ」
 父に手を引かれながら三階に上り、廊下を歩いていくと私は気づいた。
 「ねぇ、ねぇ!」
 父に話しかけるのだが、父はズンズン歩いていく。
 「お父さん、ねぇ、ねぇってば!」
 私が父の手を振りほどくと父の足は止まった。
 「美津代、急いでいるんだ!何や一体−−−−−」
 私が廊下の床を指差す。
 父と母がそれを見てアッ、と声をあげた。
 「お父さん・・・・、これって血じゃないの?」
 母の顔が青ざめる。
 血とおぼしき点々は、まるで蛇が通った後のように蛇行して病室まで続いている。
 その部屋の番号を見て父の顔がこわばった。
 「二人ともここで待っていなさい!」
 そう言うと、血の続いた部屋に飛び込んだ。
 母は私の肩をしっかりと抱いた。母の指が肩に力強く食い込んで痛かった。
 どれくらい廊下で待っていただろうか。父が部屋から顔を出して手招きをした。
 「入っておいで、二人とも」
 母に連れられ、ゆっくりと歩く。
 私は廊下の血をジッと見ながら、踏まないように−−−−−、と気をつけた。
 何が起こったかは幼い私にも分かった。
 『302号室』、その部屋に入ると真っ先に、白い布を顔に掛けられ横たわった人が目に入った。
 「親父や・・・・・・。間に合わんかった−−−−−」
 父が悔しげに言った。
 「お義父さん−−−−−」
 母もハンカチを手に涙ぐみだした。
 するとそこに疲れきった顔で祖母が病室に戻ってきた。
 「あんたら、今着いたんか・・・・・・。少し遅かったな。一時間前におじいさんは逝ってしもうた」
 祖母は私の顔をチラッと見て、
 「よう来てくれたな、みっちゃん。遠かったやろうに」
 と、頭を撫でてくれると母に向かって、
 「咽も渇いたやろう。ジュースでも買ってきいや」
 と言った。
 母が涙を拭いながら、
 「お義父さんの顔を拝ませてもらってから・・・・」
 と、白い布を外そうとした時、祖母が、
 「いかん!すぐに行きなさいや!」
 と声を荒げた。
 びっくりする母に、祖母は耳打ちした。
 小声で囁いたつもりだったのだろうが、私にはハッキリと聞こえた。
−−−−−おじいさんはトイレで吐血して、もがき苦しみながら病室までようよう這ってきて息絶えたんよ。恐ろしい顔で死んでしもうた。美津代には見せられん−−−−

 ジュースを買いに母と廊下に出ると、看護士さんが一所懸命に廊下の血を雑巾で拭いていた。
 「あ、すいません。義父の・・・・・・」
 母が謝り手伝おうとすると、看護士さんは、
 「ええんですよ。・・・・・・残念でしたね、まだ四十八歳でお若いのに−−−−−。ガンは若いと悪うなるんも早いですからね。最期はホンマにのたうちまわっていて、見ている方も辛かったですわ」
 と話してくれた。
 「−−−−−そうでしたか・・・・・・」
 母と私はしばらくその場に立ちつくした。
 祖父の血はドンドン拭かれ、跡形もなく無くなってしまった−−−−−。


 あれから三十年。
 私は結婚をし、子供もいる。
 祖父が生きていれば、まだ七十八歳。 
 『寿命』という言葉があるが、祖父はまっとうできたのだろうか?タバコで自らの寿命を縮めてしまったのではないだろうか・・・・・・。
 私は、何ひとつ祖父孝行をしていない。
 もっとたくさん話をしたかった。
 私の花嫁姿を見て欲しかった。
 ひ孫達を抱かせてあげたかった・・・・・・。


 また夏が来て、お盆がやってくる。
 −−−−−やぶ蚊に刺されないように・・・・・・。
 祖父は、墓の中からタバコの煙を、墓参りの私達に吹きかけてくるかもしれない。