2008年「タバコ:あの人にもっと生きてほしかった」コンテストのページにもどる


入賞作品

3位 田中 美枝子 様


 赤いスクーターを見るたび、あなたの事を思い出します。仕事の帰り、あなたはよく、家に寄ってくれました。3時のおやつの残りの菓子パン、従業員割り引きで買った魚のミソ漬、そして私が仕事柄、ねこ背になっていると言うと、骨を強くする為だと毎日のように牛乳を持ってきてくれました。あなたと知りあったのは、銭湯のサウナの中でしたね。一日中、水の中で立ったまま、魚をさばいているあなたにとって、サウナで汗を流す一時は、何物にもかえがたい、至福の時間だったのでしょうね。あの頃のあなたはイキイキしてた。そして誰にでもやさしかった。どんなに疲れていても、知り合いの方々を見つけると次々と背中を洗ってあげていたし、子供を見ると、手放しであやしていた人でした。あなたは、初めて会った私にも、やさしく声をかけてくれましたね。「あんたも、中央市場で働いてるんか、ほんなら今度、鱈もってきてあげるさかい、みぞれ鍋したらエエ、大根おろしをたっぷり入れて、アツアツ食べたら、ほんま、体中温ったまるェー」その年の冬は「京の底冷え」と言われる足元からジンジン冷える厳しい毎日が続いていました。午前2時から仕事でした。あなたは魚市の加工場で働き、私は親子二代野菜の加工卸をしていました。私が20歳を迎える2週間前、父は脳いっ血で急死、母一人、娘一人になり、わからないまま商売を継いだのですが、慣れない仕事、思うようにいかない商い、トラブルの連続、我ながら、おぞましく、あさましい場面や、人間の欲望と裏切りを見せつけられる事が多く、人間不信に陥っていました。「なんぼやねん。ほんでなんぼにするねん!」損か得かが、優先する世界でした。私はその場、その時で、相手にうまく相槌を打ち、さも信頼しているように振舞う事が、知らない間に身についていきました。あなたの言葉にも、「おーきに、おーきに」、心からでなく口先で礼を言っていました。2週間後、久しぶりに出掛けた銭湯、あなたは私を待っていてくれました。「かんにんな、約束してたのに、鱈すぐ持ってこれへんで、風邪こじらせて肺炎になってしもて、一週間入院してたんエ。病室の天井みながら、毎日あんたに謝ってたんえ、会えてよかった。ほんまよかった!」約束なんか、とっくに忘れてた。キョトンとしている私の両手に、大きなナイロン袋が手渡されて・・・・。その為に毎日新しい鱈を、銭湯に持ってこられていた事、今も忘れていません。人を信じる事、人の情のありがたさ、あなたに初めて教えてもらいました。友とか親友とか言うには、余りに遅い私は31歳、あなたは33歳でした。それから20年、子供の進学、就職に一喜一憂し、姑との終りのない戦い、同僚との人間関係、何でも相談し合い、励まし合ってきましたね。あなたに会う迄、私は仕事の辛さを酒に逃げ、仲間からは酔っぱらいのおばはん、家族からはどうしょうもない、ダメ妻、ダメ母、ダメ娘でした。人を信じる事も忘れていました。あなたの友情がなかったら私は人の温もりも知らず一生、立ち直れずにいた事でしょう。昭和から平成、時代は変わっていきました。平成8年の9月、あなたから電話が店の方にかかってきました。「きてくれへん」元気のない声に、私はバイクを走らせ、あなたの家に向かいました。「暑かったやろ、これ飲んで」あなたは這って、冷蔵庫から健康飲料を取り出し私にくれました。「急に立てへんようになってん」憔悴しきったあなたを見てすぐ病院へ・・・・。一週間後、あなたの家に結果を聞きに行った時、だんなさんは黙ったまま、奥で娘さんが泣いておられました。末期の肺ガン、長くて半年、短くて3カ月、信じられない診断結果でした。いつかあなたと一度食事に行った事がありました。ご飯を一口食べるたび、煙草を吸っていたあなた。不安がこんなに早く、最悪の結果になるなんて。あの時、いくらあなたの唯一の楽しみだったとしても、注意しておけばよかった。あなたいつか言っていましたね。「『孫さんが悲しみますよ』って男前の先生から叱られた。もう煙草やめるわ」仕事辛かったんだね。でもあなたいつも私に言ってたじゃない。「うちらは、辛抱、忍耐、根性だけは誰にも負けへん。頑張ろうな」って。だから私もお酒やめたのに。私は商売上いつも嘘をついていました。嘘をほんとうのように・・・・。あなたに、ほんとうの嘘、つきました。「うち、ガンと違うやろか?」「違う、絶対違うえ」「ほんなら、うち、あんたの店で使うてくれる?半年も休んだら、今の店、やめなアカンやろ、もう立てへんと思うし、小芋の皮むきやったら、すわっても出来るやろ、たのむわぁ」あなたが初めてみせる弱気でした。一番太い鎖骨まで病巣は広がりギブスは首の近くまで体を縛りつけていました。立つ事どころか、すわる事も出来ない状態で、まだ家族を思い働こうとしていたあなた。娘さんが買ってきたイチゴを一粒も食べられないで、「娘が心配するから、食べて」と私にたのんでた。もう30キロもないほどやせてベッドがペタンコになっていました。「何や、そんな事かいな。丁度うちの店も一人やめはるさかい、人探してたとこや、ほんなら治ったらたのむわなぁ」病院の帰り、涙がとまりませんでした。平成9年1月の末、あなたは眠るように天国へと、旅立っていきました。2年後、不況の中、私も店を畳みました。あなたと毎日通ったお風呂屋さんもなくなりました。一杯一杯話したい事があるのに、あなたはもういない。火葬場で一歳年下の弟さんが言っておられました。「家の為、高校進学もあきらめて、朝から晩まで仕事して、俺より早く死ぬなんて。骨まで真っ黒けになるほど、煙草吸って、我慢してたか、アホや、ほんまにアホや」大声出して泣いておられました。私はあなたの命を奪った煙草が憎い。天国でも絶対吸わないで、もう誰も悲しませないで。あなたの事一日も忘れた事ありません。あなたの心を一時でも癒したかも知れない煙草、でも、あなたの体を蝕んでいった煙草、癒しになれなかった私がくやしい。仕事も子育ても終わり、これからは孫の自慢話に花を咲かせたかった。もっともっと、あなたに生きて欲しかった。あなたの好きだった朝顔、天まで届けとつるを伸ばしています。咲いたら見に来てくれますか。赤いスクーターで颯爽と———。