2008年「タバコ:あの人にもっと生きてほしかった」コンテストのページにもどる
入賞作品 |
3位 三尾 富子 様 古希に「ともしび」歌いたかった
岐阜大学教育学部英文科で共に学んだ前寺博文さん。学生時代は殆ど語り合ったことはなかった。
昭和三十三年四月、愛知県木曽川町黒田小学校教諭に私達は採用された。
当時は就職難で岐阜県で就職不可能かもしれないと思い愛知県の教員採用テストも受けていた。彼と一緒の職場で働けるなんて思いもしていなかった。
「英文科出て小学校では実力発揮できんね。」
ということですぐ意気投合した。
その頃はマイカーを持っている人はその職場にはひとりもいなかった。
朝も帰りもいつも二人だけということもなく他の先生もみんなで電車通勤していた。
暑い日は一日の勤務が終わるとみんな揃って帰りにビヤガーデンへ行って楽しい雑談をした。そんな時、男性はみんなタバコを吸いながらビールをのみ楽しく話をしていたのだが前寺さんは他の男性より多くタバコを吸い続けていた。一本吸いかけのタバコを灰皿にのせておいて次のタバコをとり出して火をつける程、たてつづけに吸っていた。なんだか端から見ていてあんなものがそんなにおいしいのかなあと不思議にさえ思って見ていたことがある。
ビールをのむとカラオケのない時代なので音叉(おんさ)をいつもポケットに入れていてロシア民謡をテノールでよく歌ってくれた。「ともしび」が一番好きだった。私も口ずさむと
「音痴だまれ、音程が狂う。」
と言われたものだ。
毎日のように学校帰りにビヤガーデンや喫茶店へ寄っては一日の出来事、愚痴を話して別れるのだが本当に彼はタバコをよく吸っていた。
その頃の週刊誌のタバコの広告に
「今日も元気だ タバコがうまい」
というのがあったが、彼は調子がいいといつもそのキャッチフレーズを口にしていた。
「給料を貰うようになったのでピースにしたぞ。」
学生時代どんな銘柄のタバコを吸っていたかは知らなかったけれど確かにピースは近くで嗅いでいても香りがよかった。
ピースからハイライトに替えた頃、ビールを飲んでほろ酔い気分の時に
「君もタバコ吸ってみろ。」
と言われて「ティファニーで朝食を」のオードリー・ヘップバーン気取りで格好つけて吸った記憶がある。
彼と私の関係は友達。男女の間で友達関係が築けるかなどと言われることもあるが、お互いに魅力がなかったのか恋愛感情は沸かなかった。職員みんなが不思議がるような仲良しだった。私は彼を教えを請う学者のようにも友人のようにも又、ある時は兄のようにも思いその時に合った付き合い方をしていた。
彼は哲学書をいつも読んでいた。その影響をかなり受けたはずなのに賢くなれなかった。そして何を尋ねても必ず即答してくれた。困った時の相談に気安く乗ってくれた。私だけでなく誰に対しても同じような態度だった。
上司も彼の人間性や指導力の抜群さを見抜いていて学年主任にすぐ選んだ。
私が結婚する時、相談相手になってくれた。父親以上にいろいろと助言してくれた。
八年間同じ学校に勤めていたけれど、彼は自分の結婚を機に中学校へ転勤してしまった。
離れてからも、研究授業の指導案の相談に乗ってもらったり、論文の書き方を教えてもらったりそばにいてほしい人だった。
昭和六十一年頃、喉の調子がよくないのでと言って岐阜大学病院で検査を受けた。
結果は咽喉頭ガン。
全部切除するようにとの医師の勧めを断わったとか。教員を続けたいから声が出なくては困ると言って半分切除したと聞いた。声が出なくては生きていても仕方がないと言っていたそうな。
病院へお見舞いに行った時、隠れてタバコを吸っていた。
退院してすぐ復職したと聞いた。
それから二年後岐阜大学病院へ再入院した。連絡が来たので見舞いに行った時には別人かと思うほど彼の姿は変わりはてていた。ベッドの上で寝たまま声も出せずに体を上下に揺らして喜んでくれた。その姿を見ているのがいたたまれなくて、何も語らず病室を飛び出してしまった。それが最後だった。
享年五十才だった。
あれからずっと私は悔やんでも悔やみきれない気持ちでいる。
彼がタバコを吸い続けていた頃は今のようにタバコの害をそれ程知っていなかった。男性は殆どの人が喫煙していたしそれが大人になった証とさえ思っていたくらいだ。暗闇の道路でタバコを口に銜えてマッチを擦り風で火が消えないように両手でそっと覆うその姿が、シルエットが私は大好きだった。
もしその頃 今のようにタバコの害の情報が溢れていたならば、きっと彼も自覚してあんなにタバコを吸わなかったと思う。私も注意懇願する機会が絶えずあったのだ。残念としか言いようがない。
「今日も元気だ タバコがうまい」
この広告が憎い。
同じ職場で働いていた仲間が一年に一回集まって懐かしい思い出話をする。前寺博文さんの話もよく出る。
「若年寄りで物知りで愛煙家だった。」
と。そんな会の時、音叉はなくてもカラオケがある。音痴と言った彼を思い出しながらロシア民謡の「ともしび」を歌う。歌い終えると涙声になっているので
「花粉症です。」
と誤魔化す。
この世の中にタバコというものがなかったなら彼も私と同様、古希を迎えこの会に参加しているはず。そんなことを思うとまた花粉症のようになる。