2008年「タバコ：あの人にもっと生きてほしかった」コンテストのページにもどる

２位　ヒロ　様　とめさん【留さん】

　平成１９年５月２２日、俺の最愛の父親の一人である留さんが死んだ。
　俺には父親が２人いる。
　１人は親父でもう１人は留さんだ。
　留さんはこけし職人をしている親父の仕事仲間で、近所に住んでいる血のつながりもなにもないおじさんだ。
　でも、留さんは奥さんのせっちゃんとの間に子供が授からなかったこともあり、俺と姉２人の兄弟３人を本当の子供のようにかわいがってくれていたのだ。
　特に俺と留さんの絆は強かった。
　俺は子供の頃、病弱だった親父にかわって、高い高いにはじまり、チャンバラ、虫取り、魚取り、キャッチボール、自転車乗り、柔道教室の送り迎え等々、普通、父親にしてもらうだろうこと全てを留さんにしてもらった。
　成長してからも、俺はたびたびとめさんの所に行った。進学、就職、将来のことに悩んだときも留さんの所に行った。
　留さんには、立派な家も、車も、財産も、学歴も、地位も名誉もなかったけれど、俺は留さんという父親を尊敬していた。　
　留さんにはそう思わせるだけの魅力があったのだ。
　それが、その日、実家を離れて就職していた俺に電話があり、留さんの死を知らされた。　
　ＧＷに実家に帰ったときは、普通に元気だったのに、まさに晴天の霹靂だった。
　俺は事実をちゃんと飲み込めないまま、とりあえず仕事を休んで、実家のある白石行きの新幹線に乗った。
　俺は小さいとき、留さんとチャンバラごっこをするのが好きだった。
　「やあぁ！」
俺が斬りかかると、留さんは、
　「やられたぁ！」
と言って、家の前の道路に仰向けに転がる。
　小さな俺はケタケタ笑って、起きあがった留さんをまた斬りつける。
　すると、また、留さんは道路の真ん中に大の字に倒れる。
　何度でも、何度でも。俺が斬りかかると留さんは何度でも起きあがり倒れてくれる。
　せっちゃんは、この話をする時、
　「大の大人が小さい子の相手して、何回も何回も道路の真ん中にひっくりかえって、この人馬鹿なんじゃないかと思ったよ。寛明もケタケタケタケタ笑って何回も斬るんだっけな。そりゃそんなに何回も斬られてひっくりかえってくれる人、留さんくらいしかいないわな。おもしぇがったんだべ。」
　そういって、嬉しそうに笑う。
　俺はいつも留さんの首に両腕を巻き、コアラみたいにだっこしていた。
　周りの大人に、「男同士で愛しあってんじゃないの？」と冷やかされたけど、俺は嬉しかった。
　俺が留さんを好きなこと、留さんが俺を好きなことをみんなが認めてるんだろうと思って、うふふと笑った。
　子供はみんな留さんのことを好きになる。
　俺の２人の姉も大好きだし、俺のおばさんたちも小さいとき留さんに遊んでもらっていて、留さんのことが大好きだ。
　留さんは子供の扱いがすこぶるうまい。
　留さんのお姉さんが、泣きやまない自分の子供を泣きやませるために留さんに預けていた、というエピソードがあるくらいにうまい。
　余計なことは言わない、聞かない。子供主体で遊んでくれて、大人のやり方を押しつけない。子供の好きなものはなんでも知ってて、物知りでたよりになって、自然との遊び方を知ってる。めったなことで怒らないけど、危ないことや悪いことをしたときは子供のために怒ってくれる。子供の前じゃ、疲れているとことか落ち込んでいるところを見せたことがない。留さんは、いつも優しくておもしろくてあったかかった。
　そんな留さんが唯一子供にとって悪いことをしていたのが、タバコを吸うことだった。
　当時は今より、喫煙や分煙に厳しくなかったけれど、留さんは俺の前で、日に何度も、申し訳なさそうにタバコに火をつけ、そっぽを向いて煙を吐いた。
　でも、俺は留さんの吸うタバコが嫌いじゃなかった。
　むしろ、俺がメロンを好きなように、留さんはタバコが好きなんだろうと思っていた。
　でも、高校２年生の夏、その考えを改めさせる出来事が起こった。
　留さんが喘息による呼吸困難で倒れたのだ。
　授業中、親父から留さんが危篤だとの連絡を受けた俺は、学校を早退して、速攻、病院に向かった。
　俺が行けば、きっと助かる。
　根拠もなくそう思って、人生で一番チャリンコをぶっ飛ばした。
　病院に着くと、呼吸マスクを付けた留さんが見たこともないくらい弱々しい姿で病院のベッドに横たわっていた。
　せっちゃんが、まだ意識が戻らないんだと震えた声で言った。
　「留さん、寛明だよ。」
　俺は留さんの少し青黒くなった手をそっと握った。
　すると、その時奇跡が起こった。
　意識不明だった留さんの手が俺の手を握りかえそうと動いて、うっすら目が開いたのだ。
　その後留さんは奇跡的に回復し、命を取り留めたのだ。
　喘息の原因は、こけし造りの過程ででる木くずを長い間吸い続けたことにより、肺が弱っている事に加え、タバコがそれにさらに拍車をかけている、とのことで、喘息の発作を押さえるには禁煙しかない、とのことだった。
　俺は留さんに禁煙を勧めた。
　けれど、俺の言うことならなんだって聞いてくれる留さんがこれだけは聞いてくれなかったようで、留さんは俺やせっちゃんに隠れてタバコを吸うようになっただけで、禁煙はできなかったのだ。
　それから、留さんの喘息の発作という爆弾を抱えた生活が始まった。
　年を重ねるに連れて、発作の回数が増えていたが、病院に行って点滴をすれば毎回治まっていたので、留さんはタバコを止めなかった。
　それが、その日とうとう爆発したのだ。
　白石に着き、棺の中の留さんと対面した。
　「留さん、寛明だよ。寛明が来たよ。」
　奇跡は二度は起こらない。留さんは動かなかった。
　「昨日ね、夕食のてんぷらを『うまいなぁ。』って食べて、『セツ、星がきれいだから空見てみろ。』って言うから、２人で星を見た後、１人で工場(こうば)に行ったんだね。そこでたばこを吸ったみたいなんだわ。しばらくして発作を起こしてね。病院行ったんだけど、だめだったの。もう、肺が限界だったんだと。タバコ止めれば良かったのにねぇ。」
　気丈なせっちゃんの声が、ぐらぐら揺れていた。
　それと同じくらい俺の視界が小さな水面にぐらぐら歪んで崩れた。
　留さんの遺品の中に、俺が小さい時に書いた父の日の手紙があった。

　おかしいやら、悔しいやら俺は笑いながら内蔵を絞り出して泣いた。
　そのタバコに俺の大好きな留さんは殺されたんだよ。幼い俺にそう教えてやりたかった。
　納骨の日、
　「留さん、今度は思う存分タバコをすいなよ。あの世まで煙届くかなぁ。」
　誰かがそういってお墓の前にタバコを置いて一服吸った。
　生まれて初めてタバコの煙が嫌だと思った。留さんを殺した凶器みたいでにくかった。背中もぴんとしてて、髪なんか真っ黒で、喘息以外は本当に元気だった留さんは、百歳まで長生きするだろうと思ってた。
　だから、将来、俺の嫁さんに会わせて、結婚式には両親と一緒に花束を受け取って貰って、俺の子供を抱いて、一緒に遊んで欲しかった。それから、おいしいものをいっぱい食べさせてあげて、いろんなところに連れて行って、まだまだいろいろ教わって、まだまだいろいろいっぱい話したかった。
　新盆に留さんの家に行くと、留さんの位牌の前は、花や果物やらでにぎやかだった。
　せっちゃんが言った。
　「せっちゃん、お供え物買わなくてもいいくらいなんだ。毎日毎日人が来てね。留さんが死んでから、まだ１回も花買ったことないんだよ。あの人の人柄なのかねぇ。生前に世話になったからと言って、香典に百万持って来た人もいるんだ。百万の香典なんてはじめて見たよ。」
　死んでなお留さんのすごさに気付く。
　親切で人当たりが良く気前のいい留さんは子供だけでなく大人にも好かれていたんだ。
　立派な家や立派な車や、地位や名誉やお金が氾濫する世の中で、そんなものは何にも持っていなかった留さんの位牌の前には花も供物も絶えることがない。
　とめさん【留さん】吾妻留雄。俺の父親。優しい。楽しい。頼りになる。あったかい。おもしろい。心配。大好き。尊敬できる。思い出がいっぱい。そして、その言葉に今はさびしいと悲しいという意味が加わった。
　俺の生涯で、この言葉以上に意味を持つ言葉に出会うことはきっと難しいだろう。