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映画「西の魔女が死んだ」の喫煙シーンについての日本禁煙学会の見解 |
2008年(平成20年)8月26日 | ||
アスミック・エースエンタテイメント社長 豊島雅郎様 映画監督 長崎俊一様 新潮社 佐藤隆信社長様 原作者 梨木香歩様 文部科学省青少年映画審議会会長様 厚生労働省社会保障審議会会長様 日本芸術文化振興会(芸術文化振興基金)会長様 JT社長 木村宏様 |
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映画「西の魔女が死んだ」の喫煙シーンについての日本禁煙学会の見解 |
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JTが制作に協力した映画「西の魔女が死んだ」には、原作にない喫煙シーンが挿入されており、こどもの喫煙開始を促進する恐れが強い。日本禁煙学会はこれに抗議するものである。
記 |
1. この映画には原作にない喫煙シーンが挿入された。(状況説明 その1)
2. JT(JT生命誌研究館)が「協力」という形で制作に関与している。「協力」が金銭や労務の提供を含むことは明らかである。(例:「海猿」と海上保安庁)
3. 米国国立ガン研究所のNCI TOBACCO CONTROL MONOGRAPH SERIES NO19(2008) The Role of the Media in Promoting and Reducing Tobacco Use によれば、映画の喫煙場面には、こどもの喫煙開始を促進する効果があることが証明されている。(状況説明 その2)
4. 以上より、日本禁煙学会は以下の諸点を指摘する。
A) この映画の喫煙場面は、こどもの喫煙開始を促進する役割を果たしてしまった。
B) 映画やテレビドラマにおける喫煙シーンがこどもの喫煙を促進することは以前から国際的に指摘されてきた問題であり、「未成年者喫煙防止運動」を推進するという企業の社会的責任を果たすと明言してきたJTが製作に協力した映画において、原作にない喫煙場面の挿入に異を唱えなかったとすれば、企業の社会的責任の不履行である。一方、未成年者の喫煙促進を図る営業目的で、原作にない喫煙場面を挿入させたとしたなら、それは反社会的行為である。
C) 映画、テレビ番組、漫画、小説などのメディアコンテンツの作者・製作者は、喫煙場面がこどもの喫煙開始を促進するという国際的に確証された知見を踏まえて、今後の創作活動を行っていただきたい。
D) FCTCを批准したわが国には、タバコ産業及びその関連団体が映画・テレビドラマ等のスポンサーとなることを禁止する国際的義務が課されていることを改めて想起すべきである。
以上
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(状況説明 その1)
児童文学『西の魔女が死んだ』における喫煙シーン描写について
NPO法人 日本禁煙学会会員、看護師/保健師 井上 郁
1. 映画での喫煙シーンについて:概観
日常生活においても喫煙は数割の人間がしているのであるから、人間の生活を映し出す映画に於いては喫煙シーンが写りこむのは当然と言える一方で、芸術の表現のひとつとしての小説や映画にとっては、書き出されるもの、映し出されるものは、偶発的に登場するのではなく、登場する以上は。何かしらを表象・暗示していると捉えるものである。
例えば、小説の中で「駅まで濡れながら歩いた」という表現があれば、そこに登場人物の晴れない気持ちを読むべきで、「みかん畑が広がっていた」とあれば、明るい色の情景であるなと感じ取るべきである。
しかし、タバコは大変に特殊な記号として登場する。物質的には、ナス科の植物であるタバコを製品加工して、それに火をつけ、不完全燃焼させながら、人体の呼吸器器官によって吸い込まれるというものであるが、そこには健康科学の記号のみならず、商業的記号としての意味ももつ。それ故に、純粋に芸術として作品を評価することが叶わず、商業的記号が入れ込まれたものになってしまう。尤も、芸術にはもともとそういった商業的記号が入れ込まれる、或いは、社会的背景が織り込まれるということはごく自然ということも言える。例えば、ロートレックのポスターや、ポップアートは商業的記号を前面に押し出して宣伝している。テレビCMの類に至ってはそれを芸術作品として最早評価しないのかもしれないが、コマーシャル作品も芸術もその商業的記号の作品に占める時間的・量的な割合がどれだけ違うかであって区別されるだけともいえよう。そして、商業的メッセージ性はむしろ、芸術作品として数えられる映画や小説での方が、観賞する側の思い入れの大きさからいって高いと言えるのではないだろうか。
以上、作者のその記号を入れ込んだ意図を考えるときに、その記号によって読者に与えたいこと、すなわち芸術の与え手と受け手のやりとりであるが、タバコの場合には、作者が知らず知らずに持っているタバコへのイメージが表現される場合と、意図的に作品の中に記号と意味を盛り込み、受け手にイメージを植え付けるということが行われるという場合がある。または、タバコ企業によるプロダクト・プレイスメントが作品に露骨に入れ込まれる場合が想定される。
一般論としても、例えば、映画の中で、ヒロインがカフェで優雅に紅茶を楽しむシーン、しかも、特定のレーベルを好んで飲むというシーンがあれば、同様に受け手にインプリンティング(刷り込み)は行われるということを理解すればよい。ことに映画という、その時代におけるファッションを生み出す芸術スタイルを取るものでは、最新性や洗練された物質やお洒落な生活スタイルを演出する商品が作中に登場することは多く、たとえ、一シーンであっても受け手の心理に働き掛ける影響力は甚大である。
2. 『西の魔女は死んだ』原作での喫煙シーン描写と考察
この論考では、新潮文庫、梨木香歩著の『西の魔女が死んだ』を扱う。元々は、平成6年4月楡出版より刊行された児童文学に分類されている小説である。日本児童文学者協会賞新人賞、新美南吉児童文学賞、第44回小学館文学賞受賞。
喫煙シーンのことを論じる前に作品を喫煙以外のシーンで紹介しておく。学校生活に馴染めなくなった中学生の少女まいが、祖母の、英国人で山間部に一人生活している「西の魔女」の元で、健全な生活を、自分で考え決定していくプロセスを通して、営んでいき、それによって強い自分を獲得していくという少女のこころの成長を描いた作品である。
印象的なエピソードや描出としては、3つある。一つ目は、誰にでも起こりうる学校生活での人間関係の歪みに入りこんでしまったことを少女が自分の言葉で整理して、西の魔女に伝えていること。少女の実直な優しい人柄が窺える。二つ目は、やはり誰もが一度は考える、死後の自分がどうなるかという問題であるが、それは、西の魔女が信じるところを少女にやはりわかりやすく説明している。この2つが読者に共感を呼び、100万部を売り上げるベストセラーにまでなったのであろうと推測される。そして、三つ目は、これは児童文学と言いながらも(誰が分類したかは知るところではないが)、ファンタジーに走るのではなく、現実を追っているところにある。魂が存在し、それが肉体から離れるのであるということを、西の魔女は、孫娘まいに身を以て伝えるのであるが、それは、ウイットに富んだイタズラとして捉えることができて(ひょっとして幻想的な超常現象かもしれないが)、それ故に、ひとがひとを大切に思い、そのひとの為に何かができるということがこの作品では描かれている。是非に読んでほしい名作のひとつであろう。
さて、問題の喫煙に関するこの作品での描写を抜き出していこう。
シーンA
(少女まいが、西の魔女の家に、母と一緒にやってきて、母の昔使っていた部屋を使わせてもらう段になって、母が自分の部屋を整理している間の二人のやりとり;文庫版p32)
「人は大人になろうとするとき、そういうものがどんどん増えていくんです。まいのママは・・・」
と言って、おばあちゃんは、煙草とマッチの箱と灰皿を取り出し、煙草に火をつけた。
「あの部屋で大人になっていきましたから、そりゃあたくさんあると思いますよ」
まいは、おばあちゃんの煙草は全然気にならなかった。おばあちゃんもそれを知っていた。けれども、ママはまいの喘息を盾にとって、パパの煙草をやめさせていたし、おばあちゃんの喫煙も昔から嫌っていた。それで、おばあちゃんもママの前では喫煙を控えている。
台所のテーブルは長方形で、それほど大きくも小さくもない。五、六センチの高さの小さな陶製の花瓶に、庭の花が可愛らしく生けてあった。
(原作の小説でも、映画でも、花や自然に囲まれたお洒落な生活を営む西の魔女の様子がたくさん描写されている。)
(中略)
「おばあちゃんはどうして日本に来たの?」
おばあちゃんはたばこの煙をすーっと吐くと、
「明治時代の始まりのころに、(略)」
シーンB
(まいと西の魔女が、一日の生活を終え、団欒している中でのやりとり;p54)
「超能力? 超能力が遺伝するってこと?」
おばあちゃんは針を動かす手を止めて、近くの煙草と灰皿を引き寄せた。そして、ポケットからマッチを取り出して火を点け、ふうっと一服すると、
「そういうと、何かとてつもないもののように聞こえますけれど、多かれ少なかれ人にはそういう力があるんですよ。(略)」
以上が、小説での喫煙シーンである。この作品が描かれるにあたっては、たばこ企業から、たばこのイメージを上げる作品を書いてと言われた訳ではないだろうから、たばこ絡みのこのシーン二つは、著者のたばこに対するイメージが表出されていると思われる。両シーンとも、祖母の西の魔女が、孫のまいに、何か大切なものを話そうというときの合間に描かれていることに注目したい。
一方で、喫煙シーンではないのであるが、この西の魔女は、シーツを干すときにはラベンダー畑の上に干して、匂いを移させたり、野イチゴのジャムを作ったり、ハーブティーを飲んだり、とても、香りのある生活を大切にする女性として描かれている。
また、いつもは別に寝ている、まいと西の魔女であるが、まいが西の魔女の布団に潜りこんでいくシーンがある。煙草の臭い(匂いと臭いは使い分けたいものですね)に何も反応することなく書かれているのには、読んでいて違和感があった。喫煙者に密着すれば、タバコの臭いは自ずとしてしまうだろうし、喘息持ちであるという設定のまいは大丈夫なのだろうか?
3. 映画での喫煙シーン描写と考察
次に映画での喫煙シーンについて、記述する。2008年6月21日に全国一斉ロードショー。文部科学省特別選定作品、青少年映画審議会推薦作品、厚生労働省社会保障審議会推薦作品。
実は、筆者(井上)は、原作を読まずに映画を最初に観たために、このお洒落でハーブ好きな西の魔女が、小説でヘビースモーカーであるとは夢にも思わなかった。ところが、映画の後半のシーンに於いて、唐突に西の魔女が喫煙した為に激しい違和感を覚え、エンドロールで、「協力-JT生命誌研究館」の文字を見つけ、やはりと思い、小説で当該個所を確認してしまったという経緯がある。
この違和感は、個人的なものだけかと思っていたら、インターネット上の一般の喫煙防止を呼び掛けているわけではないブログにても同様の感想を抱いた記事を見つけたので、掲載しておく。
(http://blog.livedoor.jp/kaikoizumi/archives/51661400.html)
「それから、原作を読んでいないので、登場してるのかも知れませんが、どうしてあそこにタバコが出て来るのか不可解でした。(どこか知りたい方は映画をご覧下さい)ストーリーの流れに沿わないので、事実かどうかはともかく、陰にJTの陰謀を感じてしまった・・・な~んて観る人に思わせてしまう小道具は使わないほうが良かったのではないかと思います。」
さて、既に触れてしまったが、小説のシーンAとシーンBは、シーンとして登場するが、描写や台詞は殆ど同じであるにも関わらず、映画では祖母の西の魔女の喫煙シーンは登場しないし、また、まいが喘息患者であるという設定もない。映画の前半では、サチ・パーカー演じる西の魔女は、タバコとは無縁の生活を送っているように描かれている。これは、推測するところであるが、自然に囲まれてハーブや紅茶を愛する英国女性が喫煙も同時にするというのには違和感があり、シーンから除かれたのではないかと思われる。
ところが、映画の後半で、西の魔女と孫の絡みのきわめて重要なシーンの後に、唐突に西魔女が暗闇でカメラに背中を向けながら、一本だけ燻らせる件がある(シーンC)。当該のシーンを小説に当たると(p170);
「(略)あんな汚らしいやつ、もう、もう、死んでしまったらいいのに」
「まいっ」
おばあちゃんは短く叫んでまいの頬を打った。
(中略)
「でも、おばあちゃんだって、わたしの言った言葉に、動揺して反応したね」
おばあちゃんはにやりと笑って片目をつぶった。
「そういうこともあります」
このシーンCは、映画では、まいの「動揺して反応したね」という台詞の後、祖母の西の魔女は、大変に落ち込んだ様子で、独り夜中に(カメラに背を向けながら)紫煙を燻らせるという映像にすり替えられている。
これはいわば、タバコに対してさほどイメージづけしてなかった(単に西魔女がヘビースモーカーであるだけの)原作に対して、映画では巧みにイメージづけ(心落ち着かせる為に吸うものみたいな印象を暗示する)が行われていると思われる。しかも、にやりと笑って片目をつぶる、という西魔女の人間らしい優しさやユーモアが示される効果が失われてしまった。素晴らしいシーンを台無しにしてでも挿入した喫煙シーンとなれば、これか故意に演出されたと想定するのは自然だろう。
現在は、JTもマナーを携帯しましょうといった、クリーンなイメージ心掛け(?)戦略を展開しているし、孫の前で西魔女に頻繁に喫煙させるのは、Jとしても得策ではないのだろう。逆に、さらりと、「泣かせる場面」「印象に残る場面」でタバコは癒しになるんだよと刷り込むのがJTの2008年時点での戦略ではないかと思われる。これは推測の域を出ず、脚本が書かれた舞台裏は明らかではないが、2008年のWHOの世界禁煙デーウェブページ(http://www.who.int/tobacco/tobacco_free_youth/videos.html)にある、「Tobacco industry uses movies to catch you young」のビデオが語る通り、もっとも印象的な場面にタバコをプロダクト・プレイスメントするのは、欧米のタバコ会社がハリウッドで繰り返し行っていた方法であり、同じ手法を日本でも使い始めている一例ではないだろうか。
(状況説明 その2)
国立ガン研究所タバコ規制モノグラフ第19集要約
National Cancer Institute. The Role of the Media in Promoting and Reducing Tobacco Use. Tobacco Control Monograph No. 19. Bethesda, MD: U.S. Department of Health and Human Services, National Institutes of Health, National Cancer Institute. NIH Pub. No. 07-6242, June 2008.
(全体)
http://www.cancercontrol.cancer.gov/tcrb/monographs/19/index.html
(要約)
http://www.cancercontrol.cancer.gov/tcrb/monographs/19/docs/M19ExecutiveSummary.pdf
(16~17ページ: NPO法人 日本禁煙学会理事 松崎道幸訳)
第10章 タバコ使用と娯楽メディア
結論
1. 米国のこどもは毎日平均5.5時間という長時間、娯楽メディアに接している。タバコ使用は、娯楽メディア番組特に映画の中にしばしば出てくる。
2. 映画中のタバコの描き方には、タバコ使用そのもののイメージを描く場合と特定の銘柄とロゴのイメージを出す場合とがある。最近の映画ヒット作の4分の3以上で喫煙場面が出てくる。葉巻の場面も多いが、スモークレスタバコの出てくる場面はほとんどない。喫煙場面は未成年者視聴制限映画(R-rated=17歳未満は大人の同伴が必要な映画)で多く見られるが、喫煙の描写がヒット作に多いという関係は見られない。1990年代の作品の約3分の1に銘柄が判別できるタバコの描写が存在する。タバコの登場率は、テレビショーで20%、ミュージックビデオで25%である。
3. 最近の映画中のキャラクターの喫煙率はおよそ25%で、これは70年代80年代の2倍である。映画中の喫煙者は、現実の社会の喫煙者像と違って、リッチで、白人であることが多い。喫煙の結果もたらされる健康被害を表現した映画はほとんどない。
4. 映画で喫煙場面を見たこどもは、友人や家族の喫煙などの他の因子とは独立に喫煙を始める危険性が高いことが複数の断面調査で明らかにされている。また、タバコを吸ったことのないこどもが映画で喫煙場面を見ると、喫煙に対して肯定的な態度を取るようになることも明らかになっている。
5. 映画で喫煙場面を見ることの多いこどもは、将来喫煙を試みる危険性が2.0~2.7倍高まることが2件の長期追跡調査で示されている。映画で喫煙場面を見ることが喫煙開始期以後のこどもの喫煙行動にどのような影響を与えるかはさらに研究が必要である。
6. 映画の喫煙場面のイメージが、思春期のこどもとおとなの観客が喫煙に抱くイメージ、喫煙のメリット、喫煙の健康への悪影響、将来の喫煙意志についての考えに影響を与えることが実験研究で明らかにされている。タバコを肯定的に表現した映画(例えばスターがタバコを吸っている、タバコの健康影響を描かないなど)を見ると、タバコを良いものととらえて喫煙開始が促進されるようである。実験的に映画の喫煙場面を見せると、観客の喫煙に関する考えが、他のテーマ(例えば暴力場面を見ると観客が攻撃的になるかどうか)に関する実験結果に匹敵する大きさで変化することが明らかにされている。
7. 本編の上映に先立って禁煙のCMを上映すると、映画中の喫煙場面の影響がある程度減らせることが実験的に明らかにされている。
8. 断面調査、追跡調査、実験研究の結果に加え、社会的影響論の見地に立った理論的妥当性を勘案すると、映画の喫煙場面を見ることと若者の喫煙開始が促進されることの間に因果関係が存在すると結論できる。
9. 両親がタバコを吸ったことのない自分のこども(10~14才)に喫煙場面の多いR-rated映画を見せないように制限すると、こどもの喫煙開始が制限の度合いに応じて減ることが1件の長期追跡調査で証明されている。
10. 映像にタバコの出る場面を減らすには、タバコの宣伝とプロダクト・プレイスメントを制限し、娯楽メディアの製作者・提供者にこの対策への支持を訴え、一般市民を対象にしたメディアの情報を読み解くための学習活動を行い、娯楽産業の主要投資家との対話を行い、映画業界の自主規制(例えばタバコ出現頻度表示)を促すなどの取り組みが必要である。